短編 小説集>月夜のSerenade>第01話「Song for you」

月夜のSerenade

Song for you



 一度外に出れば、夜の静寂と、静かに広がる肌寒さが彼を包んだ。

「………」

 こんな空気に身を晒(さら)せば、誰でも言葉を失ってしまう…。だから、胸の中で呟く。

(喉は調子良いし…。えっと、出だしはなんだっけ?)

 そう心の中で考えて、彼は、カンナは一枚の小さな紙切れを服の胸ポケットから取り出した。そこには、美しい言葉の群れがひしめき合っていた。

(『二度とは来ない夜だから せめて今 君に逢いたい…』)

 天空を彩る月も、星達も。全てが彼を優しく見つめていた。

 そして彼もまた、穏やかな気持ちだった。詩が奏でる言葉の旋律も彼を癒し。

 ―――そして何より、彼女を想う気持ちが彼を優しくした。

(はぁ…。早く行かないと…。アイリーン寝ちまうよな)

 そう、自分に言い聞かせて足を動かす。彼女の、アイリーンの元に。


* * *


 やがてカンナは想い人、アイリーンの家の前まで来ていた。

 アイリーンの家は町外れにある―――そうは離れていない―――小高い丘の上にあった。絵に描いたような緑の草原は、春に、夏に、寝転がると自然の香りがして気持ち良い。風の歌い声が穏やかな眠りを誘う…。

(そういえば小さい頃は良く、アイリーンとここで寝転がって…。いつの間にか眠っちゃって…。母さんに何度も注意されてたっけ)

 不意に、思い出が蘇る―――。

『アイリーン、この木を見てよっ。すっごく高いよ!』

 カンナの元に、アイリーンは走り寄る。そして、カンナの指先を見つめるように見上げた。

『ホントだ…』

 アイリーンは自然の雄大さに言葉を失ったようだ。

『…ねぇ、ここで少し休まない?』

 カンナは言う。アイリーンは笑顔を見せて応えた。

『そうだね、気持ち良さそう!』

 幼い二人は手を繋いで、その木の根元に腰掛けた。 

『ふぅ…。木、硬いね』

 と、アイリーン。

『そうだね、何年かけたらこんなに大きくなるんだろう?』

 と、カンナ。アイリーンは『うーん…』とうめきながら考えて、不意に口を開く。

『きっと、何百年も経たないとダメなんだよっ』

『うん、僕もそう思う!』

 カンナが同意の声を上げると、アイリーンは満足そうに微笑んだ。

『カンナもそう思うんだっ。一緒だね!』

『うん!!』

 カンナもまた、無邪気に応えた。

『…ねぇ、カンナ?』

『何? アイリーン…』

 アイリーンは俯くと、少しだけ沈黙して顔を上げた。

『ずっと…。私達、一緒に居れるのかなぁ…』

 アイリーンはまた俯いた。カンナは屈託もなく言う。

『当たり前さっ。僕らはずっと一緒だっ』


 屈託なく。

 疑うことを知らず。ただ、無邪気に毎日を過ごしていて。ただ、毎日が楽しくて。こんな時が一生、続くと思っていた。

 けど、あの時の約束は子供同士の、何の邪気も無く交わした約束だ。今は、違う。そのことを悲しいと思っても、やはり違う。

 一年、また一年と時を経るごとに、お互いはお互いに離れていった。特に、13歳の頃が酷かった。今でもハッキリ覚えている。初めて、アイリーンを傷つけてしまった…。

『ねぇ、カンナっ』

 恥ずかしかっただけ。ほんの少しの間でも、ほんのちょっとの会話でも、異性と共に居るのが恥ずかしかった。

『ごめん、今ちょっと忙しいんだ』

 また、一日が過ぎる。


『カンナ、お花摘みに行こっ』

『今日はクヌート達と遊ぶんだ』

『そう…』

 今、考えると、あの時はアイリーンの方が、自分に依存していた。今は逆だったとしても。


『カンナ、今日は何の日でしょっ?』

『覚えてないんだ』

 その言葉を聞いた瞬間、アイリーンは泣き出しそうな顔をした。けど、必死で堪えている。

『…そう…』

 そう呟いて、俯いたアイリーン。ふと、地面を見る。緑の映える草の上に、朝露のような、儚(はかな)い雫が次から次へと零(こぼ)れ落ちている。

『じゃあ、またね…』

 トボトボと歩いていく彼女の後姿を眺めて。ずっと、地平線の向こうに消えるまで眺めて。彼は初めて気付いた。

 アイリーンに寄せていた想いを―――。


「…よしっ」

 カンナは小さく呟くと、小石を拾ってアイリーンの部屋の、窓に軽くぶつけた。

 …コン。

 そう、小さな音を立てて、小石はまた、地面に落ちた。アイリーンの部屋の、明かりが灯る―――。

 程なくして、彼女の部屋の窓が開いた。続けて、アイリーンが顔を覗かせる。

「…カンナ?」

 アイリーンの透き通るような声。カンナの頭の中はもう、真っ白になっていた。

「…う、うん…。ごめん、起こしちゃったかな?」

 取り分け、軽い話題から話を運ぶ。

「大丈夫よ、今灯を消したところだったの」

 形のないもののように、彼女の笑顔もまた、儚く咲いていた。

「そっか、良かった」

 カンナは呟くように言った。

「それで、どうしたの? こんな夜遅くに?」

 アイリーンは首を傾げている。本当に分からないようだ。

「…分からないかい?」

 少し考える素振りをして。

「…ごめんなさい、分からないわ」

 と答えるアイリーン。

「大丈夫、別に”今”は、特別な日じゃないから」

 そう言って、微笑みかけるカンナ。その微笑みの意味が知りたくて、アイリーンは話をするように促す。

「”今は”特別じゃないの? …ねぇ、難しくて分からないわ。教えて、カンナ」

 カンナはより一層穏やかに気持ちを落ち着けると、こう答えた。

「アイリーン、俺、君のこと…。ずっと…愛してた」

「…え?」

 突然の告白に、戸惑いを隠せないアイリーン。

「…ただの、子供の時の約束だと思うだろうけど…俺、考えたんだ。今まで冷たくあしらってた時もあったけど、それはガキに良くある、気持ちの裏返しだったんだ…」

「………」

 アイリーンは俯いて、沈黙を守っている。

「…なぁ、アイリーン? 今なら。…いや、今日なら素直に言える。だから、ちよっとだけ、聞いててほしい…」

 彼はそう言うと、息を吸い込んだ。そして、頭の中にあの歌のリズムを思い起こすと、それに乗せて言葉を紡ぎ出す。

「二度とは来ない夜だから せめて今 君に逢いたい…」

 夜の静寂が打ち砕かれて、ただ切ないメロディーに全てを委(ゆだ)ねている。

「幼い頃はずっと 一緒だったけど 時を重ねる内に離れて行ったね」



二度とは来ない夜だから

せめて今 君に逢いたい…

幼い頃はずっと 一緒だったけど

時を重ねる内に離れて行ったね

君への想い 忘れたわけじゃないから



越えていこうよ これからの道

僕らだったらきっと

全てを分かち合えるから

僕だけの想いだとしても

今伝えたから

教えてほしい

正直な 気持ち



 歌い終えると、静かに風が吹き抜けていく。

「…これが、俺の正直な気持ち…。アイリーン、聴いてくれて、ありがとう」

 カンナはアイリーンに向かって、深く頭を下げた。

「………」

 アイリーンは口を閉ざしたまま。けれど、辺りにはもう、静寂なんて存在していなかった。

 パチパチパチ…。

 一定のリズムで刻まれる、アイリーンの拍手。カンナは顔を上げた。

「…素敵な歌だったよ」

 アイリーンは涙を流しながら微笑んだ。

「私も…ずっと好きだったの…。だって、カンナより良い人なんて、いないんだから…っ」

 アイリーンは窓を閉めた。続けて、足音がカンナに向かって近づいて来る。

 そして、玄関のドアが開いたかと思うと、そこにはアイリーンが居た。二人はどちらからとも無く走り出して、お互いの体をぶつけ合った。

 強く、強く抱き締めあった。

「ホントはもっと早くに、こうしてほしかった…っ」

 アイリーンが言う。それにカンナは抱き締め返して答えた―――。

 月明かりが照らす草原に、幻想的に広がる緑。その中で踊る二人の影は今、重なり合っている。


 

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2010年01月26日:デザイン改修
2000年08月05日:初出