短編 小説集>花言葉物語>結ばれた約束

花言葉物語「結ばれた約束」



 僕には二つ下の妹が居る。

 名前は宮下愛理(みやした あいり)と言う。

 でも、愛理は生まれつき体が弱くて、今日までの十年間を、殆ど病院で過ごしてきた。

 だから、友達と言えば生まれて間もなくお父さんに買って貰ったうさぎの人形と、数冊の絵本。そして、僕だった。

 愛理は個室だったし、病院でも友達は出来ていなかった。学校も殆どが欠席なので、友達なんか出来るわけがない。

 今日も僕は、愛理の病室に来ていた。友達が居ない愛理だから、大事な妹だから。こうして毎日、僕が話し相手になっている。

「お兄ちゃん、いらっしゃい」

 それこそ儚い笑顔で、僕を快く迎えてくれる。

「うん、来たよ」

「愛理、たいくつだったよ。ミッフィーちゃんも今日は、ごきげんが悪いの」

「そっか。今日な、ビデオもってきてあげたぞ」

 と言って、僕はバックの中から一本のビデオテープを出した。

「何?」

「前から見たいって言ってた『カードキャプチャー・さくら』だよ」

「わっ、ホントぉ?」

 僕は微笑みながら頷いた。

「お兄ちゃん、ありがとう!」

「じゃあ、一緒に見ようか?」

「うん、見る!」

 愛理の笑顔を確認してから、僕はビデオデッキにテープを差し込んだ。ビデオの再生が始まると、愛理は目を輝かせてテレビ画面を見入っている。

 やがて、ビデオが終わると、興奮気味に話し掛けてくる愛理。

「すっごい面白いね!」

「そうだね」

 僕が微笑みながら答えると、愛理は満足げに頷いた。

 と、看護婦さんが入ってきた。

「…あら、お兄ちゃんも来てたの?」

 看護婦さんは僕に微笑みかけた。

「はい、ビデオもってきたんです」

「愛理が見たかった『カードキャプチャー・さくら』、もってきてくれたの!」

 看護婦さんは愛理の元に来て微笑むと「そう、良かったわね」と言った。

「じゃあ、そろそろ診察のお時間ですよ、行きましょうね」

「はーい」

「お兄ちゃんも、今日は帰っていいわよ。時間掛かると思うから」

 僕にそういって、看護婦さんは愛理を連れて診察に行った。

「お兄ちゃん、またね」

「うん」

 僕は頷くと、家に向かった。

 

* * *

 

 次の日、僕が愛理の元に行くと、ベッドの隣にある出窓に、一鉢の花があった。といっても、まだ咲いてはいなかったけど。

「あれ、その鉢どうしたの?」

 愛理に訊くと、微笑んで答えた。

「昨日ね、先生がくれたの。『その花でも育ててみると、面白いよ』って」

「へぇ、何の花?」

 愛理は首を傾げた。

「あさがおだって」

「あさがおか。懐かしいな」

 僕は鉢に寄って覗き込むと、あさがおは芽を出し始めていた。入った位置からでは死角になって見えなかったんだ。

「あ、もう芽が出てるな」

「うん、毎日お祈りしてるの」

「お祈り?」

 愛理の言葉を繰り返して、僕は訊き返した。

「うん。『早く花が咲きますように』って」

「咲いたら、いいことあるの?」

 愛理は首を振る。

「わからないけど、早く花が咲いてるところが見たいの」

「ふーん…」

 と、扉が開いた。振り返ると、お母さんが居た。

「あ、お母さん」

 僕と愛理は、声がぴったりと重なった。二人向き合って笑いあう。そんな様子を見て、お母さんも微笑んだ。

「啓、来てたの?」

「うん」

 あ、言い忘れたけど、僕の名前は宮下 啓(みやした けい)。僕が頷くと、お母さんが「啓はホント、妹思いね」といって微笑んだ。

「別に、そんな偉いものじゃないよ」

 何故だか恥ずかしくって、俯いてしまう僕。お母さんはクスクスと笑った。

「そうだ。愛理、りんごもってきたわよ。食べる?」

 愛理は芽を輝かせて頷いた。

「うん、愛理、りんご大好き!」

 お母さんは「はいはい」と言いながら、りんごの皮をむき出した。僕もりんごは嫌いじゃないので、三人で一緒にりんごを食べた。

 それから僕達三人は、軽く話をした。愛理はこの部屋から殆ど出られないから、外の話を良く聞きたがる。すると、決まって僕は、学校の友達の話をしていた。

「面白い! …いいなぁ、お兄ちゃんには友達が沢山居て…」

 僕は慰めるように言う。

「愛理。愛理にはお兄ちゃんが居るだろ?」

 愛理は顔を上げると微笑んでくれた。

 そして今日も、診察の時間を境に、家に帰った。

 

* * *

 

 それから僕は、サッカー部の練習に出なければいけなかったので、三日間、愛理の元にいけなかった。そして今日、三日ぶりに病院に来た。

 僕は愛理の病室に向かう前に、ナースステーションに向かった。いつもの看護婦さんを呼んで貰う。

「あら、啓くん。どうしたの?」

「あの、今日は愛理を外に連れてってあげたいんですけど…」

 看護婦さんは僕の言葉を聞くと、難しい顔をした。

「う〜〜ん…」

「あの、中庭なんですけど」

 と、看護婦さんは困ったような笑顔を見せて「…分かった。先生に聞いてあげる」そういって、ナースステーションに入っていった。

 数分後。

「…啓くん、良いって。でも、ちょっとだけよ?」

 と、お許しの言葉が出た。

「はい、ありがとうございます!」

 僕は元気に答えると、愛理の病室に向かった。

 病室に入ると、愛理が鉢に向かって喋りかけていた。

「早く咲いてね、楽しみにしてるよぉ〜♪」

「愛理」

 僕がそう呼ぶと、愛理は僕の方を向いて微笑んだ。

「あ、お兄ちゃん」

「今日はね、お散歩しよう」

「え、でも…」

 愛理は行きたいが、先生に怒られるのではないかという不安を隠し切れずにぐずった。

「大丈夫、先生も良いっていってくれたんだ」

「え、本当?」

 僕は力強く頷いた。

「わぁ、行く!」

 僕は愛理の手を引くと、中庭に向かった。病室を出る時、ちらっと見たが、あさがおはこの三日の間で大きく育ち、大きな蕾(つぼみ)をつけていた。

 

 中庭に出ると、暖かな日差しが差し込んでいた。

「わぁ、眩しい!」

 愛理は久しぶりの外ということで、かなりはしゃいでいた。そんな愛理をなだめるのに、僕は必死だった。

「あ、小鳥だ」

 愛理は近くに止まった鳥を指差して、無邪気に微笑んでいた。僕はそんな愛理の姿を見て、愛しく感じた。

 青い芝生も陽光に生えて、一層青く輝いていた。そこに僕は、命の輝きを感じた。

 

 僕は愛理を病室に連れ戻した。既に看護婦さんは迎えに来ていた。

「あ、ごめんなさい。遅くなっちゃった」

 僕が謝ると、看護婦さんは微笑んだ。

「大丈夫。今来たところだから」

 そう言って、愛理を診察室に連れて行った。僕はあさがおを見つめた。もう殆ど、花は咲いても良い頃だ。僕はそう思うと、近くにあったカレンダーを何気なしに見つめた。

「あ、明日は日曜日だ」

 明日は朝からこようかな? 僕はそう思うと、愛理の自由帳と鉛筆を借りて、こう残していった。

「愛理へ。明日は朝からきます。楽しみにしててね。啓」

 そう書いて、ベッドの中央に置いた。

 これを見た時の愛理のリアクションを考えると、一人でに笑い出してしまった。

 僕は笑いを抑えながら、家に戻った。

 

 次の日。

 朝早くから電話がしつこくなった。僕は寝ぼけ眼でリビングに向かうと、お母さんが既に電話を取って、何か話をしていた。お母さんのその表情は険しい。

「…愛理が…?」

 僕は愛理という単語に反応した。お母さんの表情から伺える。穏やかな話ではないことは、確かだった。

 僕は一気に眠気が覚めて、急いで歯を磨き、顔を洗った。

 リビングに戻ると、お母さんもお父さんも、忙しそうに出かける仕度をしていた。

「愛理に、何かあったの?」

 僕が訊くと、お母さんはひどく顔を歪めて、何も言わずにキッチンに向かった。そんなお母さんの様子を見て、お父さんが僕にいった。

「愛理の様態が悪化して、もう…」

 僕は何となくそんな感じがしていた。なのに、この胸の高鳴りはなんだろう。激しい動悸に襲われて、僕はいても経ってもいられず、急いで部屋に戻り、パジャマを着替えると、お母さん達を尻目に病院に出かけた。

「病院、行ってくる!」

 僕は自転車に乗ると、急いで病院に向かった。

 

 病院の前に着くと、看護婦さんが二人待っていた。いつもの看護婦さんが険しい表情で僕を見つめた。

「啓くん、早く愛理ちゃんのところに…っ!」

 僕は看護婦さんの言葉を聞き終えないうちに、愛理の病室に向かった。

 愛理の病室に入ると、先生が数人居た。

「愛理!」

 僕は叫んで愛理の元に行くと、先生達は道を開けてくれた。

「…お兄…ちゃん……」

「愛理…っ」

 愛理は苦しそうな表情を必死に、笑顔に変えようとしていた。

「愛理、しっかりしろよ。お兄ちゃんが来たんだぞ、大丈夫だよな?!」

 愛理は頷いた。

「お兄ちゃん、あさがお…」

 僕は愛理の言葉を聞き、顔を上げた。あさがおは綺麗に咲いていた。

「咲いたんだ…」

 愛理は微かに微笑んだ。

 その時、お父さんとお母さんが入ってきた。

「愛理!」

「愛理!」

 二人とも別々に同じ言葉を叫んで愛理の枕もとに寄って来る。

 お母さんは既に、涙を流していた。愛理は微笑む。

「お…かあ、さん。どうして泣いてるの…?」

「…愛理…っ」

 もうお母さんは、愛理という名前を呼ぶ以外できなくなっていた。

「お父…さん。お仕事、大丈夫…?」

「ああ、大丈夫だよ、愛理…」

 お父さんも、涙声になってきた。

「愛理、元気になったら、何がほしい? お父さん、何でも買ってやるよ…!」

 愛理は首を振る。その動作も弱弱しい。

「うんん…。私…友達が、ほしい…」

 僕は顔を上げた。

「友達?」

「うん…。お兄ちゃんみたいに、沢山の友達がほしい…」

 僕は愛理の手を取っていった。

「…分かった! 愛理が元気になったら、絶対友達作ってやる! そうだ、吉沢の柚津に、愛理くらいの妹がいるってさ。僕、その子に頼んでやるよ! だから、元気になれよ…?」

 愛理は微笑んだ。心なしか、あさがおは萎れてきている。

 と、愛理が苦痛に顔をゆがめた。

「あ! …うぅ…。苦しい…よ…ぉ」

 激しい咳をすると、愛理は涙を流し始めた。

 お医者さんが動く。何か叫びながら、それぞれのお医者さんが、それぞれの仕事を始める。

 僕達は愛理の元から離され、少し遠いところから行く末を見守る。

 そして…。

 お医者さんが俯き、腕時計に目をやる。お母さんはその仕草を見て口を手で覆った。

 お医者さんがこちらに目をやって言った。

「…午前8時34分です」

 お母さんがそれと同時に泣き崩れた。お父さんがお母さんの肩を抱いて慰めている。しかし、その目には大粒の涙が浮かんでいた。

 僕は、こんな悲しいのに、涙が出なかった。泣きたいのに、涙が出なかった。

 僕はおぼつかない足取りで、愛理の元に向かった。

「愛理…?」

 愛理はこたえない。顔を白い布で覆われていた。僕はそれを取り去った。愛理は目を瞑っていた。

「愛理…」

 僕は愛理の手を取った。まだ温かい。

「ねぇ、愛理…。答えてよ…」

 僕は愛理を呼んだ。けど、愛理は一言も話してくれない。

 …死んでしまった愛理。何も答えてくれない。そんなことは分かっているけど。実際、大切な人を亡くしてしまうと、心は執着してしまう。

「愛理…。約束したじゃないか! 元気になって、友達作るって!」

 僕の声に、お父さんもお母さんも顔上げた。僕は構わず続けた。

「なのに、なのに…っ!」

 僕は。

 僕は、漸(ようや)く泣けた。愛理のために涙を流せた。

 

 ―――外では太陽が高く昇っていた。

 

 窓辺にあるあさがおは、その寿命をまっとうしたように、その大きくて、綺麗な花を地に落とした。

 あさがおはもう、咲くことはない。愛理ももう、帰ってこない。

 約束は果たされることなく、終わりを迎えた。


 

ホーム| 短編INDEX| WEB CLAP |


「花言葉物語」は西東社発行、こうむら・ゆみかさん著作の「花ことば物語」を参考にしています。

2010年01月10日:デザイン改修
2000年01月09日:初出