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花言葉物語「夏色のフォトグラフ」




「…………梅雨って、好きなんだ」

 昼休み。彼、滝本 慎一(たきもとしんいち)は入学して以来、ずっと気になっていた本城 あさひ(ほんじょう あさひ)の言葉を聞いて耳を疑った。

「え、なんで? 雨ばっかでじめじめして……。なんかイヤじゃん」

 窓の外を見る。

 今日も例外ではなく、外には雨が降り注いでいた。

「……普通の人はそうだよね。私、ちょっと観点がずれてるから」

そう言って自虐的に微笑むあさひ。

「えっと、じゃあどうして本城は梅雨が好きなの?」

 あさひは少し恥ずかしそうに俯いて答えた。その時に、慎一は鼻腔をくすぐるあさひの髪の匂いに自然と心、奪われていた。

「あじさいの花が、とっても綺麗に見えるから、かな……?」

 そういって、あさひは笑った。

「……そっか。あじさいの花、好きなんだ」 

「うん。あ、知ってた?」

「え、何を?」

 慎一がそう訊き返すと、あさひは得意げに説明し始めた。

「あじさいの花びらの部分、あるでしょ?」

 慎一は頷いてあさがおの花を思い浮かべた。

「あれ、はなびらだって思ってた部分ってね、実はがく片なんだって」

「え、ウソ?」

 慎一はそんなはずはないと思い、反抗した。

「ウソじゃないよ、ほら、この本に載ってるんだから」

 あさひは鞄を開くと、何やら花関係の本を取り出して、あじさいの載っている部分を開き、文章を指で追いながら目当ての部分を見つけると「ほら、ここだよ」といって慎一に見るよう促した。

「…………ね?」

「……ホントだ」

 慎一は驚いた。

 更にその本を読み進めると、そのがく片の中央にある部分が本当の花びらだと書いてある。

「どお?」

 あさひは得意げに微笑んだ。

「ハイ、私が間違ってました」

 慎一がうな垂れてみせる。あさひは素直に喜んだ。

* * *

 慎一はその日の放課後、途中で友達と別れて今まで踏み入れたことのない場所。花屋に来ていた。

(……あじさいって、売ってんのかな……)

 少々の不安を抱きながら、店の中へと足を運んだ。

「あの……」

 慎一は恐る恐る、店員のおねぇさんに声をかけた。

「はい?」

 営業スマイルで答えてくれたおねぇさんに、慎一はあじさいの場所を尋ねた。

「あの、あじさいの花とか、売ってます?」

「あじさい? ええ、あるわよ。えぇ〜とねぇ……」

 おねぇさんはあじさいの場所に向かった。慎一は一応、おねぇさんの後からついていった。

「あら、まだ育ってないのしかないけど……」

 慎一はあじさいの花を見た。茎ばかりでまだ、花とはいえない状態だ。かろうじてあじさいと分かるのは、値段の上に「あじさい」と書いてあるからだ。

「これで良い?」

「う〜ん、どうしよ?」

 おねぇさんはこう言う。

「あじさい、プレゼント?」

「は?」

 慎一は聞き返した。

「男の子がお花屋さんに来る時はプレゼントでしょ?」

 意地悪く微笑んでおねぇさんは言った。

「はは……。まぁ、そうっすね」

「じゃあ、育てたほうが良いと思うな。そういった小さな気遣いに、女の子って結構惹かれるんだよ」

「ください」

 慎一は即決した。


 その帰り道。

(……なんだか、上手く丸め込まれただけのような気もするけど……)

 慎一は疑って掛かっていた。

(しかし、本城が好きな花を育ててプレゼントすれば、結構良いんじゃないか?)

 そして、慎一の妄想が始まる。

(俺からあじさいを受け取った本城は感動して……)


『え、これ、私に?』

『うん、本城が好きって言ってたから……。俺、一生懸命育てたんだっ』

『ホント? 嬉しい……』

 そして、愛の告白!

『本城……』

『……え?』

『俺…………、ずっと本城のことが……っ』


「……ことが、すっ……」

 道のど真ん中で立ち止まって、思わず妄想が飛躍して叫びそうになる慎一。残りの言葉をぐっと飲み込んで、一つ咳払いをすると走って家に戻った。

(や、ヤバかった……)

 自分の部屋に入ってドアを閉めると、真っ先にそう思った。

「ふう……。さぁて、コイツをどうするかだけど……」

 慎一は鞄をベッドの上に放り投げると、反対の手に持っていたあじさいを見詰めて呟いた。

「取り敢えず、母さんに訊いてみるか……」

 慎一は一人ゴチるとリビングに居る母の元に向かった。


「なぁ、母さん……」

「……母さん、出かけてるよ?」

 と、代わりに返事をしたのは慎一の姉、真希だった。

「あれ、ねぇちゃんだけか……」

 あじさいを持っていない方の手で頭を掻くと所在無さ気に視線を迷わせる慎一。

「悪い? ……あ、それ。もしかして、女の子ぉ?」

 真希の意地の悪い笑みに、しまった、と慎一は考えたが、時既に遅し。もう後の祭りだった。

「も・し・か・し・てぇ〜……。あさひぃ〜〜……」

 何故か的確にあさひの名前を挙げる真希。

「わっ! 違うって!!」

 真希に背を向け、慌てて否定する慎一。

「へぇ〜じゃあ誰かなァ……?」

 真希の執拗な攻撃を交わして、慎一は言った。

「それより! ねぇちゃん、コレどうすりゃいいかな?」

「さぁ? 取り敢えず、バケツに水張っとけば?」

 慎一の反応が彼女にとってつまらなかったのだろうか、興味を失った猫のように、冷めた反応を見せる真希。

 そんな姉の後ろ姿にそりゃそうだ、と相槌を打ちつつ、そんなことも思い浮かばなかった自分の脳を哀れんだ。

「……あ゛、もしかしてあたしッ?! そっかぁ、慎ちゃんってば おねぇちゃんに興味があったんだぁ〜」

 と、唐突に慎一を振り返って見当違いなことを口走る真希。

「バケツは何処だったかなー?」

 勘違いも甚だしい姉に冷ややかな一瞥を送ると、その一瞬後には無視してバケツを探し始める慎一。

 そんな彼の冷たい仕打ちに、真希は不穏なセリフを投げつけてリビングを出て行った。

「慎一のバカぁ〜!! 明日ひっどいことしてあげるからね!」


「取り敢えず、バケツにつけといたし……」

 慎一は部屋の隅に置いたあじさいを見て呟いた。

「……花ついたら……。プレゼントして……。そして……」

(告白……か……)

「本城……」

 ベッドに倒れ込んで、意中の人の名前を呼んだ。

 途端、部屋の扉がいきなり開いた。

「オォ〜ホッホッホッ! 訊いたわよぉ〜! 慎ちゃんてば、やっぱりあさひちゅわんのことが好きなんじゃないっ!」

「ねっ、ねぇちゃん」

 突然の来訪者に肝を冷やす慎一。

「ずっと前からそうじゃないかと思ってたのよ、コレが!」

 真希は慎一のベッドに腰を下ろして続ける。

「あたしも? 一応女ですし? その辺の勘がさぁ、何て言うのかなぁ、冴えてるのよね、やっぱ?」

 勝ち誇って一人言葉を続ける真希。

「はいはいはいはい」

 慎一はそんな姉が鬱陶しくて、話半分に相槌を打つ。すると、勝者の威厳ある視線。

「あっらぁ〜? いいのかしら? 君はあたしに『弱み』を握られてるのよ? 分かって?」

 弱み、の部分にアクセントを置いて真希は訊く。

「べっつにあたしはいいんだけど? バラしても。あさひちゃんに」

 ベッドから立ち上がり、背中で語る真希。

「ぐっ……。わっ、私がわるぅございました……」

 慎一は見返り美人宜しく、顔だけで振り返った勝者に嫌悪感剥き出しの視線を送りつつ、必死で顔の筋肉を微笑ませて言った。

「まあ、分かればいいわ」

 そう言って身体ごと振り向くと、肩の少し上辺りまでしかない髪を手の甲で撫で上げて、余裕の立場を見せ付ける真希。

「……どうでも良いけどブッ細工な顔ねぇ」

 言いながらワザとらしく眉根を寄せる真希。

(はいはい、どうせブサイクですよ)

 慎一は心の中で毒づくと、一つ大きなため息をついた。

 腕を組んで尚も慎一を見ている姉の姿が、少しだけ滑稽に思えて、苦笑する慎一。

「……やっぱ、花なんて似合わないよな」

 当然反撃が来ると構えていた真希は、予想外の展開にキョトンとすると、続けて笑った。

「何だよ、人が切なさに抗うかのように呟いてると言うのに」

 真顔で説明じみた台詞を呟く慎一を、真希はもう一度笑って言葉を紡いだ。

「……ゴメンゴメン……。アンタさ、もっと自信持ちなよ。花とかにこだわらなくったって、女の子は好きな人から貰うものなら、なんだって嬉しいもんなの」

 得意げに語る真希。

「……そんなモンかな……」

「そういうものなのっ」

 ぶっきらぼうに言って、真希は腕を組み替えた。

「……とにかく、花が咲いたらプレゼントするんでしょ?」

「ああ」

「だったら、あさひちゃんを思う気持ちで、いっっっぱい可愛がって告白しなさい。絶対、大丈夫!」

 真希はそう言って微笑んだ。

「ねぇちゃん……」

 慎一は感激して呟いた。真希は満足げに頷いて見せると、そのままドアに向かい、外に出て行く。

 その勇ましい背中に声も出ない慎一。

 しかしドアが閉まる直前、真希がおもむろに振り返ってこう呟いた。

「……だったらいいね」

「え゛」

 呆然とする慎一を置いてけぼりにして、勢い良くドアを閉めると、廊下の向こう側に爆笑する真希の声が響き渡った。

 推察するに、真希は「大丈夫」と「だったらいいね」を切り離していっていたのだ。

 慎一は優しくされたと思っていただけに、ちょっとショックだった。


* * *


 その日以来、慎一はあじさいの花を、まるであさひのように愛した。あじさいもその愛に応えるかのように、すくすくと大きくなっていった。

 そうして、あの見慣れたがく片も色鮮やかに開き、花びらもまた、その存在をアピールするように輝いていた。

「……ふぅ」

 そして、感嘆のため息。

「アンタにしては、頑張ったね」

 隣にいる真希も、慎一の育てたあじさいを見て呟いた。

「まあ、ね」

「じゃあ、今から持ってくんだ?」

「……ああ」

 慎一は特に綺麗に咲いたものを選んで取り上げていく。

「……何で、全部持ってかないの?」

 真希の言葉に、慎一の動きは止まる。

「え?」

 屈んでいた慎一は、姉を見上げた。

「全部持って行きなさいよ。アンタの愛情、忘れて行く気?」

 そう言って、真希は微笑んだ。慎一はそんな姉の言葉が嬉しくて、微笑み返すと全てを綺麗に包んで、いつか一緒に下校して知ったあさひの家へと向かった。


* * *


(い、いよいよだ……)

 あさひの家の前に辿り着いた慎一。鮮やかな赤を纏う屋根は、昼間降った雨に濡れていた。

 カントリー調のプランターに植えられた花が飾る玄関の前に立ち尽くし、チャイムに指を伸ばせない慎一。

(こっ、これ渡したら、俺達ってどうなのるかな……?)

 不意に浮かんだ疑問。そして、その疑問が一層慎一を不安にしていく。

(もしフラれたら、俺、どうするんだろ……?)

 良くないことばかりが浮かんでくる。自然と視線が足元に落ちる慎一。しかし、視界に広がったのは無機質なアスファルトの道ではなく、これまでの日々、あさひへの思いだけを込めて育て上げたあじさいの花だった。

「……よし」

 そうして、慎一の右手の人差し指が、あさひの家のチャイムへと向かっていく―――。

「だぁ〜れだ?」

 突然、目の前が暗くなる。混乱していても、慎一には解るあの声。銀鈴の奏でる音楽のような声。

「あっ、あさ……!」

 ドもった慎一。しかも無意識に名前を呼ぼうとして自分に気付いて余計にテンパる慎一。

「ほっ、ほんじょお……っ……、さん……っ」

「あったり〜」

 あさひの声と共に視界が元に戻る。それが合図のようになって、後ろを振り向くと、買い物袋を片腕に下げて微笑んでいるあさひがいた。

 まるであじさいの花びらのように、控えめな佇まいだった。

「それで、どうしたの? うちの前に立っ…………あっ」

 慎一の持っているあじさいに目を奪われて、あさひは言いかけた言葉を飲み込んであじさいに手を伸ばした。

「綺麗なあじさいだね〜。どうしたの、コレ?」

 花びらを指先でそっと撫でながら、あさひが問うた。

「あの、……。これ、プレゼント……。本城、前に好きだって、いってただろ……? だから……」

 あさひは驚いて慎一を見上げた。

「え? これ、私に?」

「………………」

 慎一は真っ赤な顔で大袈裟に頷いた。

「……ありがとおっ!」

 あさひは心なしか頬を赤く染めて最高の笑顔で言った。

 頬の赤さは夕焼けのせいだろうか、しかしあさひの眼に嘘はなかった。だから慎一は、自然にその言葉を口にしていた。

「でさ……」

「うん?」

 あさひは未だあじさいを眺めながら相槌を打った。

「これ、俺が育てたん……だ」

 羞恥心に身を浸しながら、ボソボソと呟く慎一。

「うそっ?! ホントなの? スゴイじゃない、綺麗だよ、これっ」

 あさひは我を忘れて興奮している。

 そんなあさひを見て、慎一は自分の抱く気持ちを再確認する。

「あのさ」

 慎一は小さな声で言った。もしかしたらあさひにさえ届いていないかもしれない、と疑ってしまうくらいに。

 慎一はあさひを盗み見た。

 あさひはあじさいを色んな角度から見て、はしゃいでいる。

 やはり、声は届いていなかった。慎一は苦笑して、でもそんなあさひだから、もう躊躇わずに続きの言葉を素直に言えた。

「俺、本城のこと……好きだ」

 あさひのあじさいを見つめる動きが止まった。しかし、慎一はあさひの微妙な動きに気付かず、言葉を続ける。

「好きで、ホントに好きで、たっぷり愛情を注ぎ込んで育てたんだ……。だから、こんなに俺の気持ち詰め込んだから、……だから、俺と、付き合って欲しい……」

 そして、一瞬の静寂。

 一瞬なのに、慎一にはひどく長い時間に感じられた。

「……嬉しいよ、慎一くん」

 あさひの言葉が静寂を破る。

「……え?」

 聞こえていないと思っていた告白は、全て伝わっていたようだ。

 羞恥心で呆然としている慎一に、あさひは自らの内に秘めていた思いを打ち明ける。

「気づいてなかった? 私、慎一くんのこと、入学した時から気にしてたんだよ……」

 あさひの吐露に、我が耳を疑う慎一。

「だから、慎一くん以外の男の子とは、あんまり接してないでしょ?」

 照れて笑うあさひ。

「……ホントに、ありがとう。これで私達、恋人同士……、だよね?」

 あさひは上目遣いに慎一の顔を見た。慎一はあさひの可愛らしさに言葉が出ず、ただただ頷いた。

「……青春ね〜」

 と、聞き覚えのある声が慎一の背後から聞こえた。慎一は吃驚して振り向いた。

「あら、誰かと思えばこの前あじさい買って行った子じゃない?」

 その姿を確認して、慎一はハッ、とした。

「あ゛、花屋のおねぇさ……」

「もぉ、おねぇちゃん!!」

 あさひが慎一の言葉を食ってその人物を非難した。

「『おねぇちゃん』?」

 慎一が繰り返すと、あさひは頷く。

「うん、うちのおねぇちゃん」

「智美っていうの、よろしくね」

 あさひの姉、本城智美は微笑んで手を差し出した。親愛の握手ということだろうか。特に何も考えず、差し出された手を握り返す慎一。

「しっかし、まさか君の相手がうちの妹だったとはねぇ」

 感心して呟く智美。

「……ホント、すっごい偶然ですよね」

 慎一は素直に応えた。

「あ、じゃあ、あさひは幸せ者ね。彼の気持ちが一杯注がれてるそのあじさい貰って」

 からかうように、あさひに向かって言う智美。あさひは尚も頬を赤く染めたままで頷いた。

「ね、君。知ってた?」

 智美は慎一に言う。

「あじさいの花言葉はねぇ……」

「『ひたむきな愛情』……。だよね?」

 あさひが智美から言葉を奪って紡ぐ。

「え?」

 自分の思いのあり方をストレートに表しているような気がして戸惑う慎一。そんな慎一の腕を取って抱きしめて、あさひは言った。

「慎一くんの愛情、ぜぇんぶ受け取ったからね! 離さないよっ」

 まるであじさいの花言葉のような、まっすぐなあさひの笑顔。

「あ〜、暑い暑い!」

 正面から抱きしめ合い直す二人の姿を見て、智美はこれ見よがしに大きな声で二人に投げかけると、笑いながら家に入っていった。


 ―――重い雲が広がる空。

 その僅かな切れ間に差し込んだ、鮮やかな陽光が、この後の天気を予感させるような二人に注がれているようにも見えた。



「ひたむきな愛情」



 あじさいの花言葉。それは、育てた慎一の一途さと、そんな慎一を人知れず思い続けたあさひとを、表すように。

 あじさいの花は、二人の流した涙でキラキラと輝いていた。
 
 
 



 
 
 

 ―――その後。

 慎一とあさひの部屋の机の上には、それぞれ同じ写真が飾られている。

 家の中に入った智美が、戻ってきて撮った写真だ。

 二人の間にはあじさいの花があり、あじさいの花を挟むように並んで手を繋いでいる。微妙に距離を取っている二人の位置が初々しくて良い。

 だから二人は、いつまでもこの気持ちを忘れないようにと、この写真を特別なものにした。

 二人が恋人同士になった、思い出の夏の写真は、これからも色褪せることはないだろう。


 二人が互いに手を取り、歩いて行く限り……。


 

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「花言葉物語」は西東社発行、こうむら・ゆみかさん著作の「花ことば物語」を参考にしています。

2010年01月10日:デザイン改修
2004年10月14日:加筆修正