WhiteDay_Memory


この作品は短編恋愛小説「ValentineDay・Story」のその後を描いた作品です。先に「ValentineDay・Story」をご覧になって下さい。



 受け取った箱―――、中身はチョコと言っていた―――を握り締めて、彼、原雅俊はその場に立ち尽くしていた。

「おい新入り。どうした、ンなところで固まって」

 頭の禿げた肉付きの良い店長が、雅俊に声をかけた。

「俺の、傘…?」

 それはいつの間にか無くなっていた彼自身の傘だった。

「どうして、あの子が…?」

 疑問は尽きることなく浮かんで来る。

「オイ、新入り! どうでも良いけど、しゃきしゃき働け! こちとら人手が足りねぇんだっ」

 雅俊はすぐに返事をした。しかし、胸中では沙耶の顔と傘、それに、初対面でいきなり貰ったチョコレートのこと。全ては一つの直線上でつながりそうで、しかしイマイチ繋がらない。

 雅俊はなんとも言いがたい心情のまま、一旦はカウンターの中に戻り、黙々と作業に入った。

(ホントに、初対面だっけ…?)

 
* * *

 
 一方、スカーレットを飛び出した沙耶と、彼女を追う由美。由美はなかなか立ち止まらない沙耶の背中を諦めることなく追い、二度も信号を無視し、数え切れない程曲がり角を走り去った末、最後に曲がった角で沙耶は漸く立ち止まっていた。

「一体どうしたの、沙耶?」

 やっとの思いで追いついた由美は、沙耶と同じように立ち止まって肩で息をしながら問いかけた。

「……ごめん。はっ、恥ずかしくって」

 沙耶も息を切らせながら途切れ途切れに答えた。

「もぉ。手間かけさせて…」

 ぶつぶつ言う由美に、沙耶は手を合わせて謝った。

「ゴメン! 許してよぉ」

「さて、どぉしましょうかねぇ〜」

 頭を下げる沙耶をちらりと見やって、由美は意地悪く言った。

「…パフェ」

 ポツリと呟いた由美。一瞬キョトンとした表情を浮かべた沙耶だが、すぐに事情を飲み込むとけらけらと笑った。

「オッケー」

 二人は其処で微笑み合うと、今度は並んで商店街のある方へと向かう。

「伝わると良いね、沙耶の気持ち」

 由美は雨の一雫がアスファルトに溶けるような声で沙耶に告げた。

「…うん」

 沙耶は優しいその声色に救われたような思いを抱いた。

 ほんのりと頬を染めて、沙耶は先程まで目の前に居た雅俊の姿を思い浮かべた。

 胸の奥が温かくなるのを感じた。


* * *
 

 雅俊はその頃、バイトを終えて自室に戻っていた。

 ガランとしていて、面白みの無い部屋。家財道具なんて目を惹くものはなく、雑誌の類もない。

 その部屋の片隅、真っ白いシーツをかけた少し大きめのベッドに腰掛けて、雅俊はゆっくりと貰ったチョコの包みを開いていった。

 と、指に何か触れ、次の瞬間には足元にそれが落ちた。包みを横にどけて見てみると、どうやら手紙らしかった。雅俊はそれを拾って中に目を通した。

「………」

 雅俊はただ、黙々とその手紙に目を通した。そして、読み終えると、必然的に思い出した。

「…そうか、あの時の…」

 雅俊は「あの時」即ち、一年前の春。雨が降り注いだ日のこと。…沙耶と初めて出会った時のことを思い出していた。

「あの時からずっと、誰かも分からずに…?」

 雅俊は自分の胸の鼓動が高鳴るのを感じた。

(傘あげたくらいなのに、どうして…)

 雅俊には判らなかった。沙耶の気持ちというものが。どうして何も知らない人を好きだと言えるのだろう。よくよく考えれば、彼女は自分が「スカーレット」で働いていることを知らないはずだ。なのにチョコレートを用意していた。しかも手作りであることは間違いない。形は不揃いだけど、手作りならではの温かみがある。

 一つ摘んで頬張ると、程好い甘さが口内を満たしていく。

 渡せるかどうかも判らない、誰かの為に作られたチョコレートは、雅俊に不思議な思いを抱かせた。

 そんな彼にも、昔好きな人が居た。ただ、相手の気持ちを知ることに恐怖を覚え、自分の想いを伝えることすら出来ずに、結局彼の恋も一時の夢に終わった。

 そんな彼だから、沙耶の気持ちが良く解った。そして、羨ましいとさえ思った。例え、バレンタインという日の力を借りたとしても、彼女は、沙耶は臆することなく、自らの想いを自分に告げたのだ。

「………」

 一瞬だけ見詰め合った午前中のことを思い出す。とても驚いた顔で、けれど綺麗な顔立ちが、頬を赤く染めていた。

 そして今、実感出来る。自分は沙耶に心を奪われたと言うことを。その切実な想いに自らの心を変えられてしまったことを。

 こうまで簡単に恋に落ちることは滅多にないだろう。思われていれば愛するわけではない。それは当然のことだ。何も知らない一のことをすぐに好きになるのは難しい。

 だけど、沙耶は。

 沙耶の声は。沙耶の震える手は。沙耶の丁寧な文字は。沙耶の切実な思いは……。

 雅俊の心を変えるのに、充分過ぎる程充分だった。

 時計が静かにときを刻む。今はただ、その音だけを聞いていたいと心から思った。そして雅俊はその瞳を閉じた。

 雅俊は刻まれていく時間の中で、沙耶のことを考えた。

 
* * *
 

 そうして、月日は流れて。

 あの奇跡的な再会から一ヶ月が過ぎた。

「…電話、ないままなんだ」

 沙耶は今にも泣き出しそうな声で由美に告げた。

 やはりいきなり告白の手紙は失敗だったかもしれない。彼はもしかしたら、一年前自分に傘を渡したことを覚えているという保障すらないのだから。

「……そう、なんだ。でも、まだ諦めるのは早いよ!」

 由美は、項垂れてしまった沙耶をいたわるような視線を向けた。しかし気を取り直し、急に声を上げて言う。自分まで落ち込んでしまったら、きっと沙耶はもっともっと辛くなってしまうだろう。

「きっとホワイトデー狙ってるんだよ! 運命的な再会を果たしたのがバレンタインだから、運命的な返事はホワイトデーに、って考えてるんじゃないかな! くぅ、あの子も可愛い顔してやるなぁっ」

 そして、ちらりと沙耶を見る。沙耶は未だ頭を上げない。表情が見えない。

「そう、かな…」

 しかし言葉は静かに返って来た。

「そうだよ! 沙耶だったら覚えてるでしょ? あの優しそうな細い目!」

 由美はもう一息と見て更に押す。

「うん…」

「加えてあのあまぁ〜い声っ」

「うん」

 もういっちょ。

「そして、あのモデルのよーなスタイル! あれには参ったよね〜」

「………」

 沙耶が黙り込んだ。時間が止まったような感覚に陥る。

 不発か、と由美が思ったその時。

「…そう、だよね…っ」

 由美が沙耶の、次の言葉を待っている。

「女の子なら誰でも、あの人、好きになっちゃうよね…っ!」

 予期せぬ言葉に、由美は思わず脱力した。

「……っあぁ〜。なんでそーなるかなぁ〜?」

「だって…」

 グジグジと何か呟く沙耶に、由美は言った。

「もォ! 沙耶は可愛いんだから、絶対大丈夫だよ! 雅俊くんだってきっとアンタにホレたって!」

 由美がダメ押しのように言った。

「可愛くなんかないよ…」

「ほら、そういうとこ! そのマイナス思考を止めればいいんじゃない?」

「え…」

 少し厳しいかな、と思いつつ由美は親友の恋の為、心を鬼にして言葉を続ける。

「だって、一年越しの想いでしょ? そんな簡単に諦める程、ちっぽけなものだったの?」

「そんなことないよ…」

「だったら! もっと堂々としてなさいよ、女でしょ? 強くならなきゃ!」

 由美の言葉はとても心強く、未だ出ていない恋の結末を信じてしまえるような説得力を帯びていた。

「…うん、わかった!」

 沙耶はまた、いつものような笑顔に戻っていた。その笑顔は、由美への感謝の気持ちを表したものだということを、由美はちゃんと気付いているのだろうか。
 
 
 
 そしてまた、カレンダーの上には一つのバツ印がつけられた。一日遅れてしまったが。

 3月13日の上にバツを書き込むと、今日はいよいよホワイトデーだ。沙耶の胸は張り裂けそうに高鳴っていた。

(……今日だよね、ホワイトデー)

 沙耶は改めて、今日が何日かを確認する。

(別に、何もいらないから……。雅俊くんが来てくれれば、それで良いから!)

 沙耶は急に、悲しくなってしまった。まだダメだったわけではない。なのに、心の中のわだかまりが悲痛な叫びをあげる。……誰も、不安な時に良い方向に考える人は居ない。人はいつも、何らかの不安を持って生きている。
 
 沙耶は祈るような気持ちで、雅俊からの連絡を待った。
 
 
 
 その頃、雅俊はある人に電話をしていた。

「あ、お疲れ様です、原です。店長、実はお願いがあって……」

 雅俊は小さな声で何か言っている。やがて、電話相手の言葉を聞くや否や、雅俊は飛び上がった喜んだ。

「あっ、ありがとうございます! これで良い思い出作れますっ」

 禿もハンズフリーでもないのに、雅俊の部屋中に響くような大声で豪快に笑った。
 
 
 
 沙耶も雅俊も、想いは一つだった。ただ、沙耶はそのことを知らないけれど。

 不安に押しつぶされそうな身体を必死で保って、沙耶は落ち着くことが出来ず、外に出た。勿論、いつ雅俊から連絡があっても良いように携帯電話は忘れていない。

 寒かった。

 外はこの時期にしては肌寒く、先程見たニュースでは真冬並みの寒さになると言っていた。沙耶は思わず、手に白い吐息をかける。

 その仕草は当然のように忘れられて、彼女は無意識に「スカーレット」へ足を向けていた。こんな気持ちが落ち着かない日は、店長の禿げた頭と豪快な笑い声が心地良い。現に、今店長を思い浮かべて、沙耶は少し笑顔を取り戻していた。

 けれど一つ不安なのは、もし今日雅俊がバイトの日で働いていたとしたら、返事を催促しているように思われてしまわないだろうか。不躾な女の子だと思われてしまわないだろうか。

 とても、心が乱れてしまう。

 「スカーレット」に向かったのは良いが、そこに着く頃になって、沙耶は漸く思い至った。

(あ、まだ開店時間じゃないや…)

 腕時計の指し示す時間を見つめて、沙耶は思い出した。しかし、不思議と足が止まらない。

(まっ、いっか。裏から行けば店長、入れてくれるし)

 そんな考えが、彼女をスカーレットに向かわせる最大の要因と言ったところだろうか。

 やがて、スカーレットの前に来た。予想通り、開店の一時間前についてしまった。

「………」

 入り口には準備中と書いてある札が下げてある。沙耶はふぅ、とため息をつくと、その店の二階にある、禿の自宅を訪ねてみた。

 鉄で出来た、段の間に空間が開いている階段を登り、荷物でごちゃごちゃしたその短く、狭い通路を抜けると、また小さな扉に出くわす。そこが、禿の部屋だった。

 ピンポーン……。

 余韻を残しながら、その部屋のチャイムが鳴る。

 …しかし、中からの返事はない。もう一度鳴らしてみる。が、結果は同じだった。

「留守かなぁ?」

 沙耶は釈然としない思いに囚われた。

「もうお店で準備してるのかな?」

 沙耶はそう独り言ちると、元来た道を戻り、下の店を覗くことにした。

(良く考えると、下から覗いた方が良かったかも)

 不安で落ち着かないとはいえ、そんな浅はかな自分を再認識したことで苦笑しつつ、店の裏側に周った。と、少し扉が開いて、中から少しだけ、光が漏れていた。

(あ、やっぱりこっちだったんだ)

 沙耶は安心して胸を撫で下ろすと、声をかけながら中に入って行った。

「て〜んちょう♪」

 明るい調子で、声をかける。

「ん?!」

 中から驚きの声が上がる。続いて、ドタバタと慌てた足音が近づいてきた。

「おはようございます」

 沙耶は笑顔で店長に声をかけた。彼は少し乱れた息を整えながら、ひきつった笑顔を浮かべた。

「やっ、やぁ! おっはよぅ」

 禿の頭上から汗が一筋、頬を伝って落ちた。

「どうしたんですか、慌てちゃって」

 首を傾げて訊く沙耶。

「いっ、いや! 今料理の用意をしてたのさ!」

「料理? あれ、此処って頼まれてから作るって言ってませんでしたっけ?」

 店長の顔色が、文字通り蒼白になる。

「どっ、どうしたんですか?」

 沙耶は触れてはいけなかったものに触れた気がして、動揺しながら聞き直した。

「そっ、そーさねぇー……」

 店長は焦りつつ、店の奥に目をやった。

「?」

 沙耶は店長の目線が気になって、そっと見せの奥を覗いて見た―――。将にその時。携帯が震える。沙耶は驚いて肩を振るわせると、慌てて携帯に出る。

「はっ、ハイ!」

 相手の息遣いが聞こえる。細くて、長い―――。

『あっ、沙耶さん?』

 瞬間、沙耶は声を失った。必死に声を絞り出そうとする。

『俺、雅俊だけど…』

「はっ…、ハイ!」

 気が動転して何も考えられない。沙耶はその返事だけ返すと黙ってしまった。

『あのさ、ちょっと店に入ってきてくれる?』

「…え?」

 何で―――。

 何で、ここに居ることを知ってるの?

 そう訊こうとした瞬間、雅俊の声が沙耶の疑問を遮る。

『勿論、そのまま真っ直ぐね』

「は、はい」

 さっきから同じ返事しかしてないな、と思いつつ、沙耶はそう返事をした。

『良かった、じゃあ、また…』

 そして、雅俊は沙耶の返事を聞くこともなく、電話を切った。

「………」

「誰から? 何だって?」

 禿は未だ慌てながら沙耶に訊いた。

「…お店、入りますね」

 沙耶は禿に見向きもせずに裏口から身らの中へと入って行った。調理場を抜けて客席に出ると―――。

「…いらっしゃいませ」

 あの、笑顔で雅俊が居た。そこに、居た。

「こっ、こんにちは……ぁ」

 お辞儀をする雅俊につられて、沙耶もそうした。改めて顔を上げると、雅俊が立っている近くのテーブルが気になった。何故なら、普段はない真っ赤なテーブルクロスがひいてあり、豪華とは言えないが、充分綺麗な花が花瓶に刺してある。その上には、二、三品の食事が置いてある。

「沙耶さん、今日はお越し頂いて、ありがとうございます」

 雅俊はそう言いながら沙耶の前に来ると、カウンター席の、出入り口を開けて、沙耶をそのテーブルに座らせた。

「さ、このビーフストロガノフを…」

 沙耶はそう言われて視線を落とした。そして、驚き、喜んだ。

 ビーフストロガノフの上に、液状の生クリームでこう書いてある。

『スキです』

 沙耶はもう視線外すことが出来ない。これまでの日々と、目の前にある結果を思うと、覚えず涙が溢れてきた。そんな沙耶に雅俊は顔をほころばせながら告げた。

「僕と、付き合ってくれますか?」

 沙耶は声をあげて泣いた。


 
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2009年10月28日:デザイン改修
2006年08月05日:デザイン改修