天体望遠鏡と君
-prelude-



 僕は天体望遠鏡。意思を持ち、星と言葉を交わせる天体望遠鏡。

 観測出来る星は沢山あるけれど、観測すべき星は殆どない。言葉を交わす星もあるけれど、言葉を交わしたい星となれば、また少ない。それに、言葉を交わしたからと言って、どうなるわけでもないし。

 僕はただの、天体望遠鏡。

 君は暗い夜空を彩る星。

 僕が生きている間に音に出来る言葉は限られているから、大切にしたいと思う。言葉はどうしようもなく残るから、心を込めて伝えたいと思う。だって言葉に心が宿らないなら、誰も言葉を必要としなかったはず。心は言葉に宿るもの。そう信じられないのなら、そう信じていないなら、告白は意味を持たなくなるだろう。届くと信じない言葉なら紡ぐ必要がない。

 だけど、どうしようもなく届かないこともある。

 そういう事実を少なからず知っている僕は、だから言葉を捜しあぐねてしまう。月と地球が決して触れ合うことのないように、光の速さで以ってしても約四百年かかる、僕と君とを隔てる距離は言葉で埋め合わせることが出来得るのかと僕に懐疑を抱かせる。

 だから僕は、今日も言葉を掛けることなく、こうやって動けないでいる。どうしようもなく、動けずに居る。

 僕は臆病な天体望遠鏡。

 君は色褪せることなく輝く星。

 君の輝きは挺然ていぜんとしていて、周りの光を湛える星々を総て集めても敵わない。他の星がどんなに存在を主張しても、君の煌きは見劣りさえしない。僕はどれだけ君がそんな星たちに紛れたとしても見つけられる。

 だけど、だからこそ辛い時がある。

 君を眺めることは、決して嬉しい気持ちばかりを抱かせては呉れない。寧ろ変えることの出来ない僕らの関係性が脳裏を掠め、諦観すら抱かせる。

 だけど。だけど、だけど。

 だからと言って、君を諦められそうにない。もし神様が僕に声や言葉を与えたことに理由があるのなら、君に総てを告げる為ではないだろうか。もし運命と言うものが実在するのなら、翻弄されず、切り開かなければならないのではないだろうか。

 そう思い立った次の瞬間には、僕は君を探していた。否、探すまでもなく、すぐに見つけられる。移ろい行く多くの星たちとは違って、いつも其処に居てくれる、僕の希望。

 音速を置き去りに、光速さえ追い越して、ただただ君に思いを伝える為だけに、眺めているだけでは追いつけない君の元へと急ぐ。言葉で埋め合わせられない溝なら、飛び越えてしまえば良い。

 一歩一瞬近づく度、君の煌きに胸が甘く切なく疼く。この痛みは何故だろう、僕を痛み本来の意味では蝕まない。だけど確実に僕を変えている。

 やがて君の姿で視界が覆われる。

 一点の曇りも淀みもなく、黒目がちな澄んだ瞳は僕を捕らえて微笑んだ。胸の疼きを感じられる程に、僕はもう冷静ではない。

 不整脈をなだめるように深い呼吸を繰り返す。色褪せない微笑を浮かべて光り輝いている君との漠然としていた距離は、もはや僕が腕を広げれば抱きしめられる程に咫尺しせきしていた。

 このまま時間すら堰き止めて永遠に君を見ていたい、一瞬そんなことを考えたけど、君に好きと伝えなければ望む未来は永劫に始まらないと思い直し、引力が作用しているのではないかと疑わずにはいられない程爛然とした瞳に僕は敢然と立ち向かって、これまで育んだ思いの丈をぶつけた。

 好きです。初めて出会ったその日からなのか、言葉を交わした日々の産物なのかは解らないけれど、ただ確かなことは、君を思う時間が確実に増えたこと。君を思うと幸せばかりではなく痛みすら伴ってしまうこと。そしてそのどちらもが僕にとって、もはやかけがえのない事実で答えなのです。

 ずっと秘めていた思いは一度口にしてしまえば隠す必要性を見失い、矢継ぎ早に言葉が、僕の識閾下で認知する以前に、気持ちを先行して生み出されていた。

 それでも総てを伝えられたかは解らない。上手く心を動かすことが出来たかどうかも未知数だ。だけど少なくとも僕は満足している。僕はただの天体望遠鏡。本来なら指示された通りに特定の星を捉え、観測する為だけに利用される、取るに足らない存在。片や君は炯然けいぜんとした星。てんびん座に真偽を問うまでもなく身分の差は歴然としている。

 だから君の声を聞くまでもなく、僕は答えを予期していた。

 躊躇いがちに君が紡ぐ言葉は、星の賑やかな声に引き裂かれて掻き消され、ついには僕に、その振動が届くことはなかった。
 


 

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2009年10月28日:デザイン改修
2006年08月05日:デザイン改修