At Last...



 それはある、晴れた日の午後のことだった。

 二人は隣り合わせでベンチに座っている。言葉なんて要らない。もう、お互いの気持ちは決まっているから。

 二人は最後に見つめあうと、目尻に涙を溜めたまま静かに微笑んだ。

「さよなら。…頑張るから…ね」

 彼女の微笑みはもう、忘れられそうもない。

「…応援してるから、さ…?」

「ありがと…。ホントに、大好きだったよ…」

 最後に見せる笑顔が悲しい。それに、付き合っていた今までの時間の中で、別れの今に見せる笑顔が一番、素敵だと思える…。

 やがて二人は強く握り合っていた手を、どちらからともなく離した。

 彼は立ち上がると、最後に笑顔を見せた。彼はそれからゆっくりと歩き出した。もう、こんな近くで彼女を見ることはないことを考えながら。…それが、イヤだと想いながら…。

 

* * *

 

 確かに覚えているのは、付き合い始める時に交わした約束だった。

『あのね、一つだけ、お願いがあるんだ…』

『何?』

 彼女はゆっくり息をつくと、こう告げた。

『夢を理解してほしいの…』

『夢?』

 彼は、秋月 彼方(あきづき かなた)は繰り返して訊いた。

『うん。ずっとね、叶えたい夢があるの。…女優になりたいんだ』

『へぇ…』

 と、彼方は感嘆の声を漏らす。

『…笑っちゃう、よね?』

 と、自嘲する彼女、前田真帆(まえだまほ)。

『…そんなことないよ、素敵な夢だと思うよ』

 彼方は心底そう思って、思った通りに告げた。すると彼女は、驚いたような表情で顔を上げた。

『ホントに? ホントにそう思う?』

 彼方は微笑みながら、頷いた。

『…やっと巡り会えたよ。理想の男(ひと)に…!』

 そう言うと、真帆は彼方の胸に、顔を埋めた。刹那、石鹸の良い香りが彼方の鼻腔をくすぐった。

『ずっと…ずっと一緒に居てね…!』

 

* * *

 

 本当は、別れなくても良かった。

 ただ、彼女の気持ちを考えると、別れたことが絶対…良い筈だった。少なくとも彼方の考えでは。

『上京したら、もうあまり逢えないと思うの』

 先程別れた時の言葉を思い出していた。

『上京?』

 バカみたいに同じ言葉を繰り返す、自分を思い出しては…苦笑する。

『そう。ねぇ、覚えてる?』

『夢を理解してほしい…だろ?』

 真帆は頷いた。

『うん…。でもね、もう良いの。そんな約束』

『…え?』

 彼方は驚いたように呟いた。

『あの時はまだ、彼方の大切さ、気付いてなかったの…』

『………』

 彼方は黙って、真帆の話を聞く態勢を取った。

『例えば、一緒にカラオケに行ったとき…。覚えてる?』

『あぁ、コンテストに出るからって、3時間も同じ曲を歌ってたっけ』

 真帆を頷く。

『そう。あの時、彼方はなんて言ったかな?』

『えっと…』

『”喉痛めるから、そろそろ休んだら?”って言ったんだよ?』

 彼方はその時の情景を、鮮明に思い出していた。

『うん、思い出した』

『そんな彼方の、さり気ない優しさが…とっても嬉しかった…っ!』

 真帆は堪えきれなくなった喜び、そして悲しみを彼方にぶつけた。抱きついて、抱き締められて。心地良かった。彼方の胸の中が、自分の本当に在るべき場所だと感じる。

『ほら、泣くなよ…』

 小さな子供をあやすように、彼方は優しく真帆の頭を撫でた。

『…うぅ…。ヒック…。でも…っ!』

『そういえば、こんなこともあったよな?』

『…?』

 涙で濡らした顔を上げて、無言で彼方の顔を見詰める。それは、「話して聞かせて」という、真帆の意思表示だった。彼方は頷いて、ゆっくりその情景を描きながら話し始めた。

『ほら、いつだったか、大喧嘩したじゃないか』

『…あっ』

 喧嘩という単語を聞いた途端、真帆は俯いた。そして、彼方の後を続ける。

『…なんで喧嘩したのか忘れちゃったけど、仲直りした時…』

『初めてキス、したんだよな?』

 悪戯っぽく笑いながら、彼方は空を見上げた。

『うん…』

 気後れしながら、真帆は頷いた。

『どうだ、真帆。夢を大事にしてた時のお前は、光って見えてた。どうしようもなく魅力的で、他の男が寄って来るんじゃないかって、心配もしてたけどな』

 苦笑して、真顔に戻る。

『夢、諦めていいのか?』

『…うん』

『違う。前の真帆だったらそんなことは言わない。夢への想いを貫き通してたはずだ』

 真帆は押し黙った。

『俺のこと、大切に想ってくれるのは嬉しい。本気で嬉しい。けどな、自分自身の求めてたものを、俺のために犠牲にしてほしくない』

 真帆はハッとして、顔を上げる。

『俺だって真帆が好きで、だから今まで真帆の夢、応援してた。やっぱり、実現させてほしいしな。好きな人の夢だからさ?』

『…うん』

『だから、夢を諦めるなよ』

 真帆は沈黙を守っている。彼方ももう、言うことはない。

 それはその場所に、ひとときの静寂を与えた。

『…私』

 真帆が突然、口を開く。

『私が、夢を諦めるのは彼方のためじゃない。自分のため』

 彼方は首を傾げる仕草をした。

『私、わかったんだから! ホントの幸せ…自分の、本当の幸せが』

『ホントの幸せ…?』

『そう。今みたいに彼方に抱き締められてると、感じるの。”あぁ、ここが本当の、自分の居場所なんだな”って』

 今度は彼方が沈黙を守る側だった。

『だから、いつも一緒に居たい。…離れたくない! けど、夢だって離すつもりない。…欲張りな女だってこと、分かってるでしょ?』

 彼方は俯いていた。目を瞑(つむ)っていた。考えていた…。やがて静寂が包み込む頃、彼方は顔を上げて、考えたことを伝え始めた。

『じゃあ、こうしよう』

『…?』

 真帆の疑問を投げかける視線に頷いて、彼方は続けた。

『夢を獲った時にまだ、俺のことを覚えてたら…俺も奪ってくれよ』

『え…?』

『俺、さっきも言ったけど、真帆の夢の重荷になりたくない。だからもし、真帆が夢を叶えて、幸せになって…。でも、その時に何かが物足りなくなったら…。俺を迎えに来てくれよ?』

 真帆が泣く。抱き締める腕に力をこめて、言葉を紡ぎ出す。

『…ホントは真帆を守れる存在…迎えることのできる存在になりたいけどさ。真帆の夢が大き過ぎて、俺はそれに勝てる自信がない。だから、さ…?』

『…私、私…っ!』

 彼方はそんな彼女に、手を差し伸べた。抱くことをやめて。

『………』

『がんばれ!』

 彼方は笑顔を見せた。…本当は泣きたい。離したくない、離れたくない、傍に居たい、傍に居て欲しい。けど、自分が弱くてどうする? せめて出発の時は笑顔で送り出したい。泣くのは独りの時。自分の部屋の中で…泣きたい。

『…ありがと…』

 真帆の決心も固まった。

 手を握る。

『さよなら。…頑張るから…ね―――』

 

* * *

 

 それからゆっくりとした時間が過ぎて、もう5年の時が流れていた。

 彼女は持ち前の元気の良さ、一途さなどが功をそうし、一気に人気アイドルになった。今では毎日が忙しく、充実しているのだろう。

 上京した当初は良く、電話で話していた。彼女のツライこととか、悲しいこととか…。全ての愚痴を自分にこぼしてくれた。それが嬉しかった。

 彼女を励ます自分の言葉に、自分で何度となく救われた。

 けど、今では電話なんて皆無だ。一度も話していない。もう、話さなくなって3年の月日が過ぎた。

 大学の友達とかに良く、早く彼女を作れとか言われる。合コンにも誘われる。付き合いで行くことはあっても、女の子に好意を抱いたことはなかった。胸の中にはいつも、彼女が居て、忘れることが出来なかったから。

「好きな人は居る」

「誰だよ、教えろよー!」

 良くしてくれる友を安心させようと、いくつのウソをついただろう。ただ、それは許されるものだ。

 …そう、想いたかった…。

 今夜は珍しく、携帯は揺れない。けど、だから静かに買ってきた小説を読める。CDを聴ける。

「ふぅ…」

 今日何度目かのため息をつくと、次のページをめくる。

 ブルルルルル…。

 携帯が揺れた。彼方はもう一つため息をつくと、通話ボタンを押した。番号を見ないまま。

「はい」

「もしもし、私だけど―――」

 彼方の胸の鼓動は早まる。

「元気?」

 目の前に彼女の顔が浮かんだ。あの懐かしい笑顔が。次はなんて言おうか。考えるだけで、とても楽しかった。

「ねぇ、足りないものがあるの」

 彼女は言葉を続ける。それを聞いて、彼方は言った。

「…迎えに、来いよ?」


 

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