中編恋愛小説>月明かりの下で>第01話「プロローグ」

プロローグ



 昨日、娘が失恋した。

 帰ってくるなり真っ青な表情を浮かべていたので、心配して声をかけたのだが…。

「…どうした、元気ないぞ?」

「ううん、大丈夫…。ごめんね、お父さん。ちょっと、一人になりたいから…」

 そう言い残し、とぼとぼと階段を上がり、二階の自室に戻る娘の後姿は本当に悲しげだった。


 その夜、私は娘の部屋を訪れた。夕食も取らずにいたから、私は少し冷めかけたシチューとサラダを持って、ドアの前に立った。

「おい、夕食持ってきたぞ」

「………」

 しかし、返事はない。もう一度繰り返す。やはり返事はない。私は心の中で娘に謝りながら、そっとドアノブをまわした。

 部屋の中は、ひやりとした夜の風が吹き込んでいた。机の近くにある出窓が開き、閉めてあったカーテンは夜風に泳いでいた。私はもってきた夕食を机の上に置き、部屋の中で娘の姿を探した。しかし、娘の姿はなかった。

 私は慌ててリビングに向かい、妻にこのことを話した。妻は娘の部屋へ行き、事実を確認すると、ショックを受けて気を失ってしまった。

 私はまず冷静さを取り戻すため、深呼吸をした。冷たい風が肺にみちていく。内部から冷めた私の体や脳が冷静さを取り戻していく。

 私は妻をソファーまで連れて行くと横にさせた。続いて警察に連絡を入れる。返事はもどかしいものであったが、家に来るという約束をとりつけ、なんとか気持ちを落ち着かせることはできた。

 私はその夜、眠れずにいた。娘から連絡があるかもしれない。気がついた妻も一緒にそうしていた。


 翌朝。五時頃だった。二階で物音がした。私は急いで娘の部屋に向かった。

 娘の部屋に入り中を見回すと、ベッドに埋もれて可愛い寝息を立てて眠る娘がいた。私は驚き、すぐに娘を起こして訊きたい衝動にかられたが、娘の寝顔を見ていると、そんな欲求は何処かに消えてしまった。

「お休み…」と、眠っている娘に声をかけると、ゆっくりと部屋を出た。妻も安心して眠った。

 私は警察に娘が戻ってきたことを告げると、礼を言って受話器を置いた。

 大きな安堵感から、私にも睡魔が襲ってきた。一つ大きなあくびをすると、私も寝室に向かった。


* * *


「私、昨日失恋しちゃって…」

 父親は驚いていた。まだまだ子供だと思っていた愛娘も、何時の間にか成長していたということを思い知らされたから。娘は少し笑うと続けた。

「悲しくって、死んじゃおうかなって思ってた。その時に、誰かが私の名前を呼ぶの」

 娘は一息入れて続ける。

「『誰?』って訊くと、びっくりしちっゃた。熊太郎が私に話しかけてくれてたの!」

 両親は黙って娘の話を聞いていた。

「どう言ったと思う?」

「わからんなぁ」

 父親が口を利く。母親も頷いた。娘は笑いだしそうに答えた。

「『綾香さん、僕と一緒に月夜の散歩にいきませんか?』って!」

 綾香は今度こそ笑いながら、続きを鮮明に話し始めた。


* * *


「綾香さん、僕と一緒に月夜の散歩にいきませんか?」

「…え?」

 綾香は溢れてくる涙を拭いながら声のする方を向いた。するとどうだろう。熊のぬいぐるみ、熊太郎が話しかけているのだ。

「僕は、泣いている綾香さんを見るのは辛いから。一緒に散歩して、嫌なことは忘れようよ。…ね?」

 熊太郎の目はボタンなのに、何故か優しい感じがした。

「うん…」

綾香は熊太郎の優しさに触れ、ゆっくり頷いた。

 熊太郎は、5歳の時に両親から貰ったプレゼントだ。11年越しの付き合いになる。綾香一番のお気に入りだった。『熊太郎』という名前は、父がつけた名前だった。

「さぁ、行こう」

 熊太郎は出窓に近づき、手をかざした。すると、窓は大きく開いた。

「えっ、行くって、どうやっ…。えっ?!」

 綾香が訊こうとした時、彼女の体は風に乗って、ふわりと浮いた。

「…楽しい!」

 綾香は笑顔を取り戻していた。

 二人(?)はピーターパンのように宙に浮き、窓を抜けて雲の上に向かった。

「空を飛ぶって気持ち良い!」

 綾香の長い髪の毛は、水を得た魚のように天の川を泳いでいた。熊太郎は微妙な微笑みを浮かべた。

「そう。誘って良かった」

 二人は更に上昇して行く。やがて、雲の上に出た。

「ちょっと息苦しいけど…。うん、最高だよっ」

 雲の上に座った。見かけだけでも。

「飛行機の窓から眺めるより、ずっと綺麗だね、雲って…」

「…ふぅん」

「あっ、してみようかな…」

 熊太郎が綾香に見向き、訊いた。

「…何を?」

 そして、綾香の行動を見守った。すると綾香は、雲をちぎって口に含んだではないか。

「………」

「綾香、子供みたい…」

 もぐもぐしていた口の運動が止まる。

「…水っぽぉい」

「もとは、水蒸気だからねぇ」

 熊太郎が肩をすくめていると、綾香は驚いた表情で熊太郎を見つめた。

「すごい! 熊太郎って頭良いんだね!」

「このくらい、誰だって知ってるよ?」

 熊太郎は優しい口調で伝えた。

「えっ、私、知らなかった…」

「それも、個性だよ」

 熊太郎は慌ててフォローをいれた。しかし、使い方が少々おかしい。

「…そっか。そうだよね」

 綾香が胸を撫で下ろして微笑むのを見て、熊太郎はホッとした。


 星がキラキラと輝いていた。そして、一際大きく、明るい光を放つ月。

「…月は、気に入った?」

「うん、すごく綺麗だね。だけど…」

「?」

「うさぎは居ないんだね」

 熊太郎は綾香を見つめ、豪快に笑った。

「あぁ〜、何で笑うのぉ?」

 なきそうな表情で熊太郎を睨む綾香。

「あっ、ごめんね。そんなつもりで笑ったんじゃないんだ」

「じゃあ、どうし…、え?」

 綾香は辺りを見回した。

「どうしたの?」

「今、音楽が流れてた」

 熊太郎も綾香も頷きあい、目を閉じる。耳をすました。すると、確かに
音楽が流れていた。

「行ってみようか?」

「うん、行こう!」

 熊太郎の問いかけに即答すると、音がする方へと向かった。


 

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2010年02月05日:デザイン改修

この作品はまきさんの原作をもとに、ストックがお話をつけたものです。この場をお借りして、まきさんにこの上のない感謝を申し上げます。