中編恋愛小説>絆=You & I=>第03話「暗闇〜空白の時間〜

暗闇〜空白の時間〜




 真っ暗闇。世界は闇に身を潜めて、この世界には自分独りだけしかいない。もうだれもいない。

 あぁ、あたまがいたい。からだがいたい。…こころがいたい。それはなぜ?

 暗闇はそっと全てを包み、私だけを置き去りにしていった。そうでなければこんな、私の存在自体が、際限なく朽ちていくような感覚が、するはずないのに。


* * *


 あれから綾は良く、アルバムを見るようになっていた。徹が棲む空気が少しでも近くに感じられるように、窓を開けて。

 …人から見ると、自分のしていることが偏執的だということは充分承知している。けれど、どうして他人なんかにこの気持ちが理解出来る? 当事者でもないくせに、人のこと後ろ指さして狂ったなんて軽々しく口にする。

 この世で一番大切な、そう、自分の命よりも大切だと感じていた愛すべき人が或る日突然、納得のいかない理由で姿を消した。そしてそれは、蒸発なんかとは違う。いつかは戻ってくるというという希望が持てる、蒸発なんかと違う。もう戻ってこないのだ。二度と。永遠に姿を、生きた姿を見ることは出来ない。

 永遠という時が、どれほど長いか解っている? 紐と紐の端を結んで輪を作る。繋ぎ目から目で追うと、やがてまた、繋ぎ目に辿り着く。繰り返せば繰り返す程、それは続いてゆく。

 そう、終わりがないのだ。

 しかし、綾は思った。

 私は幸運(しあわせ)な方だ。何故かって? だって、やがて私にも、終わりはくるもの。徹と同じように天に召される日が、来るもの。

 そしてまた、アルバムのページを手繰る。其処には懐かしい二人の思い出がぎっしりと詰まっていた。 

 結婚式の時に撮って貰ったものもあれば(自分の友達が送ってくれた)、この間徹の実家へ久しぶりにご挨拶をしにいった時、義父(おとう)さんや、ご近所の人に取って貰ったもの、デズニーパークに行った時、写真屋さんにマッキーベアーと一緒に撮って貰ったもの…、と、数え上げればきりがない。

 それらを一枚一枚眺めてはまた、次のページを手繰る。テレビから流れてくる、愛しき人の声を聞きながら。


* * *


『それでは、新郎新婦のご入場です!』

 これは、結婚式を挙げた時、徹のお友達が撮って、後に送ってくれたものだ。

 …タキシードが良く似合っている。とても凛々しい顔だ。そう、それにくっきりとしたラインを描く、手…。男性のそれとは思えぬほどに繊細な、きめ細かい肌をしている。

 その隣には、勿論私が居る。

 綾は映像を見つめ、微笑んでいた。幸せを感じて。

 しかし突然。

 再生されていたビデオがうねりを上げたかと思うと、ふっと息を引き取った。画面には映像は流れない。ただ、真っ暗闇を映し出していた。

 綾が呆気に取られていると、更に不可解な現象が起き続けた。

 アルバムに収められた写真が次々とその姿を消していく。一枚一枚、ゆっくりと確実に。それの消え方も不可解だった。何故なら、ぽっかりと開いた穴に、スゥっときえるように姿を隠してゆくからだ。

 綾は呆気に取られながらも、わりと自分が確実に回りの状況を把握していることに、気付かなかった。

 そのまま綾が絶句していると、微かに聞こえ出した声がある。

『あ…ゃ…』

 綾は絶句した。そんなハズがない、空耳だ。

『あ……ゃ』

 いやしかし、確実に聞こえる。確かに微かではあるか、聞こえる。間違いない。これは、これは…。

『あ…や』

(徹…っ!)

 綾は言葉が話せずに居た。厳密に言うと、話たくても口が聞けないのだ。

『…っ…ろ、あや…』

 綾は聞き取ろうと必死だった。何故なら、徹がきっと、自分に向かって何か伝えようとしているから。それは多分私にとって重大な意味があるハズだから。

 そうして、意識を集中させると、突如鮮明に聞こえた。

『しっかりするんだ、綾!』


* * *


「とお…る…」

 静寂だった室内に、その声は突如漏れた。しかし、気付く者も居ない。見守っている者が居ても、彼の人は既に眠りについている。

 見守る者、見守られる者の間に愛があったとしても、すれ違う悲しさを理解出来るのはほんの一握りに過ぎないだろう。


* * *


 それから目覚めると、綾はまた、あの広い二人のベッドの上に居た。枕が濡れていた。また涙を流していたのだろうか…。

 綾は清々しい朝の空気が吸いたくて、眠い目を擦りながら、窓のところまで行って、それを開けた。直後、欲していたその空気が肺へと心地よく流れ入って来る。

『…おはよう、綾…』

 そしてまた聞こえた。綾は瞬時に思った。

 夢じゃなかった。徹がいる。すぐ近くに、傍に居る。傍にいるのに、手は届かない。きっと遠い場所にいる? 声だけが聞こえる。温もりは、そう、温もりは…。

 何故だか、手を握られているような、そんな気がした。

「おはよう、徹」

 今度は声が出せた。綾はそう思った。

『今日は良い天気だよ…』

 徹の声が、少し遠くなった気がした。

「そうだね…」

 綾は相槌を打った。しかし、内心綾はこんなことを考えていた。

(不思議…。さっきまでは信じられなくて、徹を近くに感じたくて、ずっと、焦ってたのに)

 心の迷いが無くなった。そう表すと、どこか納得できるような気がした。

『綾…どうして…』

 ふいに、プツリという音がして、一切の音が聞こえなくなった。その代わりに、酷く頭が痛んだ。止むことなく、まるで身体に対する圧力が、今までの数倍頭に向けてかかっているような気がする程に。


* * *


 それから毎日、徹の声が聞こえたり、頭痛がしたり、と、それだけが繰り返す日常が彼女には用意されていた。

 何か忘れている。或いは、気が付いていない?

 どちらにしろ、この止めることの出来ない頭痛だけは、どうしても消して欲しかった。


 一日のうちで、何度頭痛が繰り返しただろうか。数えているだけの気力も残っては居ない。

 愛する人を失った者の痛みとは、心身をここまでボロボロにするのだろうか?

 夕暮れ時の時間だが、辺りは既に、暗闇におびえていた。いつもならまだ、夕陽が恭しく照っているはずなのに。

 綾はもう、疲れきっていた。

 早々とベッドに潜り、もう何年も続けてきた、徹を思い、慟哭することを始めた。

 泣き疲れて、綾はまた、眠ってしまった。


 それを待っていたかのように、不穏な動きが生じた。

 日捲りカレンダーは現在12月5日を指していた。それが瞬く間に剥がれ落ちてゆく。一枚一枚と、風もないのに。

 そしてそれが止まった。日付は4月3日を指していた。


* * *


 泣きつかれて眠った綾は、その夜、見たこともない夢を見た。


 それは不思議な夢だった。

 徹が病室に居た。丁度この哀しみが始まった日に、綾自身が見ていたような病室だった。

 徹は泣いていた。それこそ幼い子供が、大切なものを失ったときのように慟哭していた。ベッドには誰かが横たわっていた。

 徹はお医者さんと話していた。深刻な表情を浮かべて。しかし、先程の辛く、悲しい表情は浮かべていなかった。それらから比べると、微笑んでいるようにも見える。

 風景が浮かぶ。

 そう、これは結婚式の時だ。笑顔だけが溢れていて、幸せの波動だけが、この室内に流れている。徹も綾も笑っていた。

 それから酷く時間を遡(さかのぼ)って行った。忘れもしない、二人が出逢った瞬間だった。徹が喫茶店でアルバイトをしていて、綾はたまたまその店に外観に見せられて入ったのだ。

『いらっしゃいませ』

 それが二人、出会って初めて言葉交わした瞬間…。

 徹は独りで小さなケーキを食べていた。先程見た病室で。何かを祝っているのだろうか…。だんだん、映像が不鮮明になってい……く…。

 また徹が泣いている。

 もうそんなに悲しませないで…。どうして、私、の、こえ、きこえ、ない…の……?

 そうしてその夢の中で、綾は徹の生活の断片が走馬灯のように駆け抜けてのを見て、果てしない旅の終止符を打ちたいと、心から願った。

 そして、朝が来た。

 徹り顔が見える。

 彼は綾の顔を見下ろすと、あの優しい声でこう言った。

「おはよう、綾」


 

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2010年01月27日:デザイン改修
2001年04月17日:初出