中編恋愛小説>絆=You & I=>第02話「終焉〜突然の別れ〜」

終焉〜突然の別れ〜



 諸手続きが終わり、今日は病院の彼の病室に泊まろうかとも思ったが、錯乱状態で家を空けたことから、家の管理状態が気になり、今日一日はとりあえず戻ることにした。明日からは徹の病室に通うのだ。

 まず、家に入ると玄関の鍵をかけた。

 ふと先を見ると、リビングの電気が付けっ放しになっていた。急いで戻ると、更に驚いた。

 まず、受話器が元の位置に戻っていなかった。コードは延びきってしまい、だらしなく感じた。そして、床に散乱する赤ワインと、瓶の破片。出かけ際に聞こえた何かが割れる音は、コレだったのだ。

 早速綾は破片を拾い、床に零れ、広がった赤ワインを拭き始めた。

 そうして、綾は何故だか、徹の姿が脳裏に浮かんだ。

 車に跳ねられ、虚空を彷徨った徹の体は、次の瞬間には硬く、冷たいアスファルトの地面に叩きつけられた。

 痙攣する徹の筋肉。裂けてしまった徹の身体から、静かに流れ出す深紅の鮮血。排水溝に滴り落ちてしまった大切な、徹の血。

 赤い。滴り落ちて。痙攣。硬い。硬直? 鮮血。徹。大好きな人。紙くずのように? 空を。痛い。いたい。イタイ? 苦しい? 壊れてしまった? 直るの? 赤い。あかい。赤い? 死……。

 目の前に広がった赤ワイン。それは今、彼女にとっては紛れもない、一番大切な存在、徹の身体から流れ出した血に他ならなかった。

(いや、違う……。ただのワインよ……)

 綾は忌まわしい幻想を振り払うように頭を左右に振った。

 どうも一時的に錯乱しているようだ。大切な人が死の淵から生還したが、死んでしまったのだと思い込んでいたから、こんな風になったのだ。

 一時的な、精神的ストレス・疲れもあるだろう。零れた赤ワインを全て拭き取ってしまうと、綾はその日の精神的な疲れ、或るいは肉体的疲れを癒すため、ベッドにもぐった。

 二人分のベッドに独りで眠る。たまに徹の仕事が長引いて先に眠る時は感じなかったが、失いかけたのだ、と思うと、どうしてもベッドが果てしなく広く感じられて、孤独に慟哭(どうこく)した。


* * *


 次の日の黄昏(たそがれ)時。

 香咲家では香咲徹の通夜が行われていた。明朝病院からの緊急連絡があった頃には、綾は病院に向かっていた途中らしく、連絡がつかなかったと、後に看護婦は言っていた。

 連絡を受けた極親しい友人達が駆けつけてくれた。

「綾、しっかりしてね」

 近くに住んでいた中学から付き合いのある友人も来てくれた。綾は精一杯の笑顔で答える。

「……うん。大丈夫……」

 もう、何度口にしたセリフだろう? 本当は、全然大丈夫なんかじゃない。今にも心が潰れて、また泣き出してしまいそうだ。

(あぁ、また……)


 ―――思い出してしまった。彼の亡骸と接触した時のことを。


『…………徹?』

 ドラマでこういうシーンは良く見ていた。しかし、これはドラマでも、小説でもないのだ。

 事実。目の前に突きつけられた真実は、まさかこんなにまで衝撃的だなんて、思っても見なかった。

 愛する人の顔に、白い布がかぶせてある。

(嘘……、絶対嘘!!)

 綾は看護婦や医師達の、たちの悪い悪戯だと自分に思い込ませて、その忌々しい布を取り払った。……しかし、現れたのは純粋無垢な笑顔ではなく、悔いを残してこの世を去ってしまった、という後悔の表情に似たものを浮かべ、目を瞑り、眠りについている徹の顔だった。

 驚愕した。まさかこんなこと、あるはずが……、いや、あって良いはずがない!

 私が、徹が何をしたっていうの? 酷い……、酷すぎる……ッ!!

『最善を尽くしましたが……』

『最善を、尽くした……? だったら、何で徹が死ぬんですか?! 何で徹がこんなことに……っ! 先生、返してください、私の、徹…………っ』

 綾はそのまま、徹の亡骸に泣き崩れた。一頻(ひとしき)り泣いた後で、見下ろす徹の冷たい体。抱かれていた頃の温もりはもう、戻っては来ない……。


「…………っ」

 不意に、目から涙が滲んできた。

(やだ、私……)

 一度噴き出したものは、なかなか止まらない。後から後から流れ出てくる。視線が痛い。

「ちょっと綾、大丈夫?」

 涙を流す綾を見て、戸惑った古い友―――岡本 佑理(おかもと ゆうり)は綾の傍へと歩み寄った。

「ぅ……ぅぅ……」

 どんなにこの涙を止めたいと思っているだろう。けれど、とめることが出来ない。

 胸に生まれた大きな傷は、回復の兆候を見せず、むしろその傷口を広げてゆくばかり……。その傷に涙が触れてまた、綾を蝕むように染みてゆく。

 見かねた佑理は、周りの視線を気にもとめず、おびえた子猫のように震える綾の身体を抱きしめた。

「……ツライ気持ち、良くわかるよ。私も小さい頃、お母さんを亡くして泣き通した日もあったから……。でもね、哀しみに負けてちゃダメだよ! ……こままじゃ徹さん、きっと綾のこと心配して、天国行けないよ……」
 綾は佑理の言葉にハッとした。


『…………僕が居ない間もちゃんと、元気にやるんだよ』


(あぁ、徹……。こうなる事、解っていたの……?)

「……徹」

 綾は愛しき人の名を呟いた。そうして目を閉じると、暗い闇の中に、彼の笑顔見つけた。

「……徹さんのこと、忘れろなんて言わないよ。けどね、彼に依存し続けていてはダメ。綾の彼を想う気持ち、すごいわかる。解るよ。だけどさ、そのままの綾見てたら私、私…………っ!」

 泣き出してしまう佑理。

(……私、人まで巻き込んで不幸にしてる……)

 綾は心中で呟いた。そして、そんな情けない自分を恥じた。

「……ごめん、ごめんね、佑理! 私貴方にまで……、辛い想い、させちゃって…………っ!」

 二人はそのまま心中の傷を舐め合うかのように、しっかりと抱き締め合った。


* * *


 やがて通夜が終わり、いよいよ葬儀が明日、行われることになる。

『私、泊まって行こうか……?』

 佑理が遠慮がちに訊いてくる。通夜に来ていた人々も多くが帰路に着き、香咲家には家族―――徹の両親と、綾の両親以外は殆ど人が居なかった。

 綾は微笑んだ。

『大丈夫だよ、今度は本当に。お母さん達もいるし……。ホント、大丈夫』

 その笑顔を見て、本当に大丈夫だと感じた佑理は、心底安心して言う。

『……解った。なんかあったら電話してね』

 佑理はそう一言告げて、綾に背を向けた。


 心を分かり合える友人を持てたことに、綾は心底感謝した。
 しかし……。


「……ぅぅ……ぅ……っ」

 暗闇に染まった二人の寝室。

 いくら強がりを言ったって、心にまで、ウソはつききれなかった。あの時は必死だった。佑理を送り返した瞬間の私。

 一度堪えきれなかったものを、二度繰り返してはいけない。そう、徹の言葉も力になった。

(結局私は、最後まで徹の支えになれなかった……っ! 痛む体を抱えて、必死に笑顔を浮かべ、あんなに私の支えになってくれた徹に、私は、私は何もしてあげられてない……っ!!)

 とにかく、今の綾にしてみれば、この世の全てが忌々しかった。

 全ては夢に帰して、また現実の世界を向かえることの出来る朝が来るのだと、信じたかった。

 しかし現実はどうだろう? 一度目を開けば、いつもは居た人がいなくて、それは自分が生きているかぎり続いて……。悪夢から醒めない。そう表現した方が、或いは楽だったかもしれない。胸の憑き物も落ちたかもしれない。

 そう、受け入れなければ良いのだ。人は自分を守るため、自分の記憶を消すことが出来るという。なら私だって、なんて考えてみて、やはりその考えを打ち消す。

 失ったにしろ、二人の時間だけはちゃんと、この胸に生きているのだから―――。

 消すなんて出来ない。出来るわけが無い。写真や、ビデオだってちゃんと残ってる。徹は確かに存在していたし、私にとってかけがえの無い存在だった。

 その晩も、綾は慟哭した。そうして、流れていった涙には、辛い想いが本当に少しずつ溶け出していた。


* * *


 葬儀は終わり、いよいよ徹とも、本当の意味でのお別れが近づいていた。火葬場に向かうまでの間、綾の思考は停止していたかと思う。いよいよ訪れた最後の瞬間に、綾はかなり躊躇(ちゅうちょ)していた。

 思えば未だ、5周年のパーティも開いていなかった。元気になったらまた、続きをしようねと、約束したハズなのに……。二人だけの世界。二人だけの未来。二人だけの思い。二度とは目を覚まさない人と共有していた時間に今、終止符を打つ……。

 意外にも、最後というものは呆気無かった。徹の表面は火葬により焼け、朽ち果てて、残ったのは徹の骨だけだった。お骨を丁寧に拾い上げ、果てしなく深く感じる壷に入れていく。

 徹は今、天に召されていったのだ。

(……徹……)

 煙となって空に上っていく徹。

 綾はわかっていた。この先長い間、徹に依存して生きていくであろうということを。何故なら、綾が外に出てすぐに感じたのは、大気と混ざった徹の身体は、呼吸をすればすぐに綾自身の身体に戻ってきては、笑顔を絶やさないでいると感じたのだから……。


 

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2010年01月27日:デザイン改修
2001年04月10日:初出