長編恋愛小説>鏡の中の恋人>第03話「懐かしい瞳」

懐かしい瞳


 真琴の朝は、いつも波乱に満ちている。目覚ましはいつの間にか止めるし、低血圧もあってかならず母親に起こしてもらう。今日もその儀式は変わらず、下から駆け上がって来る母の足音が聞こえた。

「真琴ぉ〜、早く起きなさぁ〜いっ!!」

 と、怒鳴りながら真琴の部屋のドアを開けた。そして、目に入った映像に、母は驚きを隠せなかった。そこには、もうセーラー服に着替え終わった真琴が、こちらを向いてにこにこ微笑んでいるのだ。

「あっ、お母さん、おはよー」

 母は戸惑いながら、「お、おはよう…」と言った。真琴はこみ上げてくる笑いに、必死で耐えていた。


* * *


 パンを咥えながら、学校に走って向かっていた。せっかく早く起きたのに、昨日、今日の授業の用意をしていなかったのだ。真琴は慌てて仕度し、出来たてのトーストを持って出かけた次第だ。まったく、真琴には困ったものだ。

 さて、今日真琴が起きれたのは、誠が居たからなのだ。誠はああ見えても、けっこうしっかりしている。目覚ましが鳴れば起き、12時を迎えれば、必ず布団に入る。…まあ、たまにそれも崩れるが…。

 それで、今日も誠は、目覚ましが鳴るなり起きて、未だぐぅぐぅ寝ている真琴を起こしたのだった。

 そんな回想をしている内に、学校が見えてきた。真琴の足取りも、だんだん軽やかになっていった。そんな時、ふと呼びかけられた。

「真琴」

「えっ?」

 真琴は立ち止まった。横道を覗いて見ると、そう、俊和が居たのだ。真琴は人目を忍んでそのわき道に入った。

「悪いな、真琴…」

「別にいいけど、何? 早くしてね」

「ああ、少しで済むんだ。ちよっと…」

 真琴は首を傾げて「何?」と再度聞いた。俊和は苦笑して言った。

「あのな、実は俺、今度の日曜日、暇なんだ。それで、真琴とデートしたいな、と思ってさ」

「?」

 真琴はもう一度、話を整理してみた。俊和は、私、真琴とデートしたいらしい。ふと、俊和の顔を見た。

 別に、顔が悪いわけでもないし、性格が悪いわけでもない。ただ、パッとしないだけ。良く喋るわけじゃないし、取りたてて目立たない。おっと、また『目立たない』ことを指摘してしまった。心の中の葛藤なのに、真琴は思わず口元を手で覆った。俊和は頭の上に「?」マークを浮かべている。

 しかし、目立たないだけだから、まあ、付き合って見ても損はない。真琴は俊和とデートすることにした。

「うん、良いよ。デートしよ」

「マジかっ?!」

「うん。じゃあ、私急ぐから」

「ああ、今日の放課後、うちの店に来てくれっ!」

「そういえば、あんた、学校は?」

 真琴は何気ない疑問が解決しないのに嫌悪を覚え、立ち止まって聞いて見た。俊和は痛い所をつかれたという感じで嘆いた。そして、しぶしぶ口にした。

「俺、学校辞めたんだよ」

 予想しなかった言葉が真琴の耳を通り、脳に届く。真琴は驚きの色を見せ、思わず声を上げた。

「えっ?」

「浪人するのが嫌でな。今はバイト生活さ。じゃあ、今日、待ってるゼ」

 そう言って、俊和はそそくさと立ち去った。その場で少し立ち尽していた真琴は、学校のチャイムの音に慌てて駆け出した。真琴のバッグの中にある手鏡に居た誠は、その一部始終を聞き、胸の動悸が納まらなかった。


* * *


 ここはいつも、情報が溢れている。男子に聞かれたくない話をするのにもってこいの場所だ。真琴は前髪を気にして、少し整えようと、友達を誘ってここに来た。鏡を向くなり、驚いた。誠が居たのだ。

「ちょっと、なんでここにいんのよっ?!」

 真琴は鏡に向かって吠えた。直後、気がついた真琴は、周りを見渡した。珍しいものを見るような視線が、ちくりと真琴に刺さる。真琴は一つ、咳払いをして、鏡に向かって心の中で問いかけた。

『あんた、変態ね』

 鏡の中の誠はムッとする。

『お前が鏡に映るからいけないんだろっ!』

 少し、ぶっきらぼうに言う誠。真琴はこれを聞き、またムッとして、反論した。

『だって、鏡だったら何でもあんたが居るって、思わなかったっ!!』

『だったら、お前の不注意じゃないか。もっとも、俺もちょっと前に気付いたんだがな』

 怒りは何処へやら、真琴はすっかり、興味の方向が変わってしまった。

『ねぇ、ちょっと前って、何時?』

 誠は少しためらったが、やがて話し出した。

『…お前が、デートの話、してたところくらいからだ』

 誠はそっぽを向いて言った。その表情には、悲しみの色が浮かんでいた。しかし、真琴はそんな変化にも、相変わらず気がつかない。鈍感である。

『人の話、無断で聞くなんて、最低…』

 またしても怒り出す真琴。そんな真琴に、誠はひけをとらない。

『聞くつもりはなかったさ。ただ、お前の声が聞こえたから…』

『言い訳はやめてっ! 今日は、あなたを見たくない』

 そして、真琴はトイレを後にした。

『真琴…』

 誠はただ、俯いていた。


* * *


 今日は日曜日。俊和とのデートの日だ。真琴は珍しく、女らしい格好をしていた。

 普段の制服の時以外、ズホンを履いていたのに、今日はブルーのワンピースを着ている。真琴はちゃんと覚えていた。

 それはやはり、以前俊和とデートしていた時のことだった。

『やあ、お待たせ』

 真琴は赤くなって頷いた。真琴の姿を上から下まで眺めた俊和は、うん、と頷き言った。

『真琴、すごい、似合ってる。可愛いよ』

 真琴は倒れそうなくらい、嬉しい気持ちになった。

 ―――これが、その時のワンピース。せっかく逢うのだから、この格好をしていこうと思ったのだ。俊和は、覚えているだろうか? 真琴はニコニコしながら、自分の格好に満足していた。

 精一杯着飾っている真琴を、誠は鏡のそこで、眺めていた。真琴とはあの時以来、顔を合わせていない。誠は怒ってしまった真琴を見ていると、自分を嫌ってしまっただろうと思っている。

 嫌われているのに、やっぱり、自分は真琴が好き。

 いちばん痛い気持ち。好きという感情さえなければ、自分はもっと、楽でいられるのに…。

 誠はそんな事を考えていた。

 真琴も、誠の事を考えていた。

 あの日以来、少しも自分の前に現れていない。あんなきついことを言ってしまったからだろう。真琴は後悔していた。今日は楽しみにしていた俊和とのデート。でも、デートなんかより、もっと大切なことだって沢山ある。

 それは、奇跡のような出逢いから、少しの時間で崩れてしまった儚(はかな)い友情。壊したのは、自分だということも良く分かっていた。でも、やり直したい。もう一度だけ、戻れるなら…。
真琴は強くそう思うと、鏡に向かって、いや、誠に向かって話しかけた。

「誠…」


 

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