長編恋愛小説>Love-Songs[木葉]>第04話「浩一と梓の過去」

浩一と梓の過去



 薄手の白いカーテン越しに、柔らかい朝の陽光が射しそめている。

 それは実に暖かで、今日一日を平和に過ごすことが出来そうだ、と穏やかさを抱ける灯り。

 と、朝七時半の時刻を知らせる為に、目覚ましがけたたましい音を鳴り響かせた。

 浩一はいつものように手を伸ばして目覚ましを止める。そしてまた、いつものように、もう少しだけベッドの柔らかさに身を委ねる。

「ん〜…」

 浩一がそれから暫くして寝返りを打つと、何処からともなく、そんな唸り声が聞こえた。

 夢見心地のまま、不審に思った浩一は薄く瞼を開く。

「おにいちゃん…」

 其処には寝息を立てる杏華がいた。

 浩一は夢に誘われるように瞼を閉じて、もう一度寝返りを打った。

 しかし安息の時はそう長くは続かない。朧気だった浩一の意識は急速に思考回路を活性化させていく。

「なっ…!」

 浩一は飛び起きて杏華の姿を再確認する。

 其処には中学校の制服を着て、気持ちよさそうに横たわる杏華がいた。

「………っ!」

 困惑して言葉に出来ない浩一。

「…遅刻しちゃうよ〜」

 しかし杏華の寝言をキッカケに、浩一は近所の迷惑を考えずに大声で叫んだ。

「杏華ー!」


* * *


 杏華のおかげで今朝はスッキリ目覚めた浩一は、一人学校への道を歩いていた。

 ついさっきまで隣にいた杏華は、途中中学の友達と出逢って、公園を抜けた近道を使って登校して行った。

 浩一と杏華の通う桜花高付属中学・高等学校は同じ敷地に並立しており、中高一貫教育を掲げた由緒ある私立校だ。

 校門に寄り添うように立っている大木は、生徒をいつもその場所から見守っているような、何処か力強さを感じさせる存在。

 その大木をなんとなく眺めながらのんびりと歩いていると、木葉が大木に寄りかかって俯いていた。寂しそうで、けれど悲しそうではなく、孤独のようで、しかし一人きりではないというような、複雑な表情と佇まい。

 木葉の身に着けている衣服は、浩一の記憶が正しければ、昨日最後に見た彼女の服装と少しも違わない。

(まさか、あれからずっと居たわけじゃないよな…)

 浩一は不吉な予感に囚われながらも、あえて何も考えないように意識して、木葉の元に歩み寄った。

 その途中、人の気配を感じ取ったのだろうか、木葉が顔を上げた。そして浩一の姿を認めると、満面の笑顔を浮かべて「浩一さんっ」と声を弾ませながら、ぱたぱたと彼の元に走り寄ってきた。

 浩一は片手を挙げてそれに応える。

「よぉ」

 木葉はそんな浩一の、文字通り目の前まで寄ってくると少しだけ息を乱したまま「おはようございますっ」と挨拶した。

 浩一は何故そうしたのかは判らなかったが、自然と木葉の頭に手を置き、撫でながら「おはよう」と応えた。

 木葉は別段嫌がる素振りも見せず、ただくすぐったそうにそれを受け入れていた。

「なぁ、木葉ちゃん」

 浩一は先ほど抱いた疑問を、木葉に投げかけようとした。

「はい?」

 と、視線を真っ直ぐ浩一にぶつけてくる木葉。その瞳の輝きは余りに無垢で、その光の前では、浩一のあの疑惑さえも、些少な問題でしか有り得なくなった。

「いや…なんでもないよ。それよりさ」

 問いかける言葉を失った浩一は、話題の転換を余儀なくされた。しかし彼は、他に彼女に投げかけるべき言葉を持ち合わせていなかった。

 それでも、浩一の答えを待って彼の顔を見上げている木葉。

 だから、と言ってしまえば、全て彼女の所為にしてしまうことになるが、それでも「だから」と、言わざるを得ないだろう。

 だから、浩一は自然とその言葉を紡いでいた。

「それより、今日は暇?」

 浩一自身でさえ、何故そんなことを言い出したのか判らない。判らなかったけれど、一度紡いだ言葉は、川の流れのように、自然に続いていく。

「や、今日は土曜だろ? 午後から時間があるなら、一緒に帰らないかなぁって思って」

 彼の戸惑いを他所に、言葉は溢れていく。その事実を目の当たりにして初めて、浩一は言葉が叶って欲しいと心の何処かで思っていることに気が付いた。

「あ…」

 しかし、木葉は顔を伏せた。

 浩一に悲しい予感が過ぎる。

 二人を包んだ気まずい空気をかき消すかのように、浩一は慌てて言葉を続ける。

「あ、厭なら構わないんだよ! 暇ならどうかなー、って思っただけだし!」

 取り繕うような浩一の言葉に、木葉までも慌てて声を荒げる。

「いえ、そういうわけじゃないんです! 厭じゃないですっ」

 切実に、余りに切実に声を奏でるから、浩一は言葉を失った。

「違うんです。そうじゃないです…」

 呟くように繰り返す木葉が、余りに困っていたから、浩一はあえて、少し強引に誘ってみることにした。

「それじゃあ、一緒に帰ってくれるのかな?」

 少しの沈黙が訪れる。二人の言葉の間隙を縫うように、大木が風にその葉を遊ばせた。

 木葉は顔を上げた。背を向けていた大木に、少しだけ視線を送ると、頷いてまた浩一の顔を見上げた。

「はいっ、帰りましょうっ」

 力強く頷く木葉。まるで誰かに後押しされたようだ、と浩一は思う。思って、そんなはずはないのに、と自らの思考に苦笑する。

「良かった。じゃあ、待ち合わせしようぜ。…此処で良いかな?」

 浩一は大木を見上げて言った。

「はい、大丈夫です」

 木葉は笑顔で応えた。しかし心なしか、その笑顔には翳りがあるように見える。浩一はその微かな表情に問いかけようとした―――。

 が、それを遮るような形で予鈴が鳴った。

 浩一はハッ、として周りを見渡せば、あんなに居た登校中の生徒は、その殆どが既に校舎の中に姿を消していた。

「ヤベっ。じゃあ、木葉ちゃん、また放課後に!」

 浩一は先程まで抱いていた疑問を忘れて、慌てて教室に向かって走って行った。

 その後ろ姿に手を振りながら見送る木葉。やがて彼の姿が校舎に消えた頃、彼女は振っていた手を休めた。

 振り返って、大木を見上げる。そして木葉は、彼女の抱く不安を呟いた。

「どうしよう…何処に帰れば良いの…?」

 大木は答えを躊躇うように、曖昧に葉を揺らした。


* * *


 二時間目の休み時間。相変わらずな陽光は教室を柔らかな温度で包み込んでいる。

 浩一は教室のあちらこちらで花咲く談笑を、聞くとはなしに聞いていたが、その中に聞きなれた声を拾うと、机に伏していた顔を少しだけ起こした。

 その視線の先には、梓を中心として四人の女の子で構成されたグループが出来上がっていた。

 梓はコロコロと表情を変え、ボケて笑いを取ったり、突っ込んでまた笑いを取ったり…とにかく周囲を楽しませていた。

 浩一はそんな梓を見ていると、昔から変わっていないと思う。しかし反面、ふとした瞬間に見せる、髪を耳にかける仕草だとか、近くにいると香る梓の香りだとか…感じる度に、彼女は変わった、とも思う。

 不意に、梓が会話の合間を盗んで、浩一の方を見た。自然、浩一も梓も見詰め合う形になる。

 梓は少しだけ驚いた顔をして浩一を見る。その瞬間に友達の話を聞き逃したのだろう、同意を求める友の問いかけに問い返して、突っ込まれている。慌てて笑顔で取り繕って話の内容を聞き返しているようだが、その羞恥心からだろうか、心なしか頬が赤く染まっているような気もする。

 浩一はといえば、そんな梓を既視感を持って見ていた。

 それは忘れもしない。

 中学二年生の、ある春の日の出来事。


* * *

 
 夕暮れ時の桜降る校庭の隅を、浩一はのんびりと歩いて下校していた。

 肌を優しく撫でる風に流されていく赤い雲だとか、遠くから薫る草木の呼吸だとか、運動部の足並みが微妙にずれた掛け声だとか…数え上げたらキリがないけれど、その日のその時間は、何気ない自然がとても身近に感じられて、そんな感覚を抱けたことが嬉しくて、余計に歩調はゆるやかになっていた。

 やがて浩一は、校門の大木に身を隠しているような、見知った後ろ姿を見つけた。

 何となく、だった。

 本当になんとなく、今感じているこの感覚を分け合って話せる人が隣にいてくれれば良いと思って、浩一はその後ろ姿に歩み寄った。

 歩み寄る内に、その後ろ姿に近づく度に、冷たい予感が背筋を走る。

 その背中は…、梓の背中は誰かを見上げているようだった。

 浩一は歩みを止めた。

 そして、立ち尽くした。
 
 それは耳を震わせる声の響きのせいかもしれなかったし、梓が自分の知らない所で、知らない男と二人でいる瞬間を目撃したと言う事実、あるいはその両方のせいかもしれなかった。

「あさ…んは……きな人とかいるの?」

 途切れ途切れに聞こえる声が余計に想像を掻き立てて、浩一の胸を掻き乱す。

「………」

 沈黙を守る梓。

「俺、付き合ってくれるなら大切にするよ」

 梓は俯く。後ろ姿だけでは、梓の心が少しも見えてこない。梓は一体どんな言葉で、どんな心をその男に返すのだろうか。

 浩一がそんなことを思っていると、梓が不意に振り返った。

 そして、視線がぶつかった。

 瞬間、浩一は硬直する。

 瞬間、梓は複雑な表情を浮かべる。

 それは、これで救われるという気持ちと、一番見られたくない人に、一番見られたくない瞬間を見られてしまったという落胆とを織り交ぜたような複雑さ。

 それでも梓は、すがるような目をしたと思う。

 それでも、それが感じられても、浩一は梓の元には行けず、そればかりか視線を逸らして、校門の外へと逃げるように駆け出してしまった。

 浩一は背中に感じる、責めるような梓の視線を振り払おうと必死に走った。しかしそれはいつまでも浩一の背中に注がれているような気がした。


 翌日。


 何処からともなく聞こえてきた噂で聞いた。

 梓がある先輩を振ったらしい、ということを。

 そうして初めて、あの男が先輩だったのだと知る。同時に、梓が彼を受け入れなかったことも知った。しかし、その理由までは、掴みかねていた。

 そして、浩一は知らなかった。

 あの時、浩一が走り去った後ろ姿を見た梓の中に、ぼんやりと抱かれていた思いがハッキリとその形を現したことを。


* * *


 浩一は視線を逸らした梓を暫く眺めると、やがてまた顔を伏せた。

 そして、思う。

 どうしてあの時、助けを求める梓に、何もしてやれなかったのだろうか、と。

 鮮明に残る記憶は、やがて罪悪感を手繰り寄せて、梓との日々をある意味では贖罪として過ごしているのかも知れない。

 そんなことを徒然と考えていると、もう一度だけ梓の大きな笑い声が聞こえて、それにかぶさるような形でチャイムが鳴った。



 残り半日の授業の後は、木葉との約束が待っている。


 

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2009年10月28日:デザイン改修
2005年01月04日:加筆修正