長編恋愛小説>Love-Songs[木葉]>第03話「木葉の憂鬱」

木葉の憂鬱



 夕焼けの赤が容赦なく視界の限りを染め尽くし、ゆっくりと迫る夜の闇に備え、街全体が明かりを灯し始めた頃。

 その日始業式を迎えた桜花高等学校の校門付近にある雄大な大木の下、一人の少女がその日の朝から変わらない姿のままに立ち尽くしていた。

 木葉と名乗っていたその少女は、やがて掌を広げ大木の表面に触れると、優しい瞳で話しかけ始めた。

「…ここは、どういう所ですか?」

 大木は風もないのに揺れている。

「…そうですか。楽しい所、なんですね」
 
 大木は頷いているようにも見える。

「私が居た場所ですか? そうですね…」

 静まり返る大木。その沈黙はまるで木葉の言葉を促しているようだ。

「…寂しい所、です。人なんか居なくて、遠くに見える街の灯りに、ずっと憧れてました」

 木葉が遠い空を眺め、物憂げな表情を浮かべると、一枚の葉が緩やかに舞いながら、木葉の頭の上に落ちてきた。

 木葉はそれを指で摘んで目の前に持ってくると、暫く見つめてから言った。

「…慰めて、くれてるんですか?」

 大木は、何も言わない。

「…ありがとう、とっても優しいですね」

 木葉は物言わぬ大木に微笑みを向けた。大木はまた、静かに揺れただけだった。

* * *

「おい、梓…。重いぞ…」

 同じ時間の商店街。浩一は両手に溢れんばかりの花を抱え、一人悠々と歩く梓の背中に不平を投げかけた。梓は顔だけ振り返ると、さらりと言い放った。

「もうちょっと! 花持ってると、浩一の顔も引き立つよっ」

時間を惜しむように花屋の中に戻って行く梓。浩一は溜息をつく。

「でも、こう何種類もあると、臭いぞ…」

 色とりどりの花たちに囲まれて四面楚歌の浩一は、誰かに頼ることすら叶わず、ひたすら堪え続けた。

「お待たせっ」

 それから暫くして、梓が満足そうな笑みを湛えながら出て来た。浩一はそんな梓の顔を見ると、文句の一つや二つ言わずにはいられなくて、梓に託(かこ)ち始めた。

「オイ、梓…」

 しかし梓は、牙を剥いて吠える浩一をひらりとかわし、軽やかな歩みで帰路に着く。

「さっ、行こっ」

 歌うような声色に、浩一も罵倒する機を完全に逸して、ため息をつきつつ、先を行く梓を追い、並びかけた。

「しっかしお前、こんなに花買って、どうするんだ?」

 梓は「何言ってるの?」という表情を浮かべて浩一に言う。

「育てるに決まってるじゃない?」

 当然のことを事も無く自然に言い返されると、浩一も返す言葉が見つからず、口ごもってしまう。

「いや、そりゃあまあ、そうだけど…」

「だったら、何も言わない」

 言葉の続かない浩一に、梓は言い聞かせるような声色で言う。

「…はい」

 浩一は閉口して、梓の隣を歩く。恐らくはこれ以上の言葉の応酬は無意味だろう。
 
 浩一は彼女の横顔を盗み見る。

 もうすっかり陽も落ちて、暗くなった空。その空に浮かぶ、星の輝きにも似た煌きを瞳に宿して、梓はワルツのステップを踏むような軽快な足取りで家を目指している。

 そんな嬉しそうな顔をされたら、と浩一は頭の中で呟く。

(何も言えなくなっちまうよ)

 暫くして、梓の家に着く。浩一は勝手知ったる顔で、梓の家の庭に上がり込むと、腕一杯に抱えていた花を置く。

「…此処で良いだろ?」

 浩一の背中を見守るように見ていた梓を振り返って、言う。

「うん、ありがとう」

 満面の笑みを浮かべて浩一に感謝する梓。浩一は心なしか梓の頬が赤く染まっているように感じたが、夜の闇に紛れて、ついにその是非を知ることは出来なかった。

 そんな梓の真っ直ぐな笑顔を見ていると、今度は自分の方が照れてしまいそうだ、と慌てて花に視線を移す浩一。

 確かに、こうやって見ると綺麗かも知れない。

「どう? 綺麗でしょ?」

 梓が問う。自慢げな梓の言葉に、浩一は苦笑しながら「ああ、そうだな」と答えた。

「じゃあ、また明日からよろしくね」

 梓は幼なじみの少年に一歩踏み出すと、握手を求めた。浩一は瞬間躊躇したが、その手を握り返すと、じゃあな、と梓に言葉を渡して彼女の家を後にした。

 遠い空の向こうで、星が一つ、弧を描いた。 


* * *

 玄関の灯りが頼りない光を点している。

 浩一はその下に立ちポケットから鍵を取り出すと、必要以上に慎重にそれをまわした。小さく錠の外れる音がする。

 扉に耳を押し付け、全神経を中の様子を探ることに集中する。

 …僅かに人の動く気配がした。

 浩一は「…またか」とため息交じりに呟くと、扉の隣に立ち、ドアを開けた。

「お帰りっ! お兄ちゃんっ!」

 と、中から勢い良く女の子が飛び出してきた。しかし、彼女が飛びついた先に浩一はいない。

 すると自然、彼女は顔から地面に突っ込むことになった。

「痛ぁ〜い! 何でいないのっ?!」

 赤くなった鼻の頭やおでこを撫でながら、女の子はしきりにあたりを見渡す。当然ながら、かなりのご立腹だ。

 浩一は何事もなかったかのように、白々しく口笛を吹きながら敷居を跨ぐと、彼を振り返ってわなわなと身体を振るわせる女の子に冷たく言い放つ。

「もうガキじゃないんだから、くっつくなよ、杏華」

「ううぅ〜…」

 地面に座り込み、涙を瞳にためながら浩一を睨みつけている女の子。彼女は浩一の妹、佐藤 杏華。桜花高付属の中学に通う3年生だ。丁度、浩一とは二つ違いになる。

 髪を左側に寄せて作ったポニーテイルが彼女のトレードマークで、赤い髪飾りが少し茶色っぽい髪に良く映えている。小柄な身体な為、時折小学生と間違われてしまうことを気にしている女の子だ。

「ほら、さっさと家に入れ。風邪引くぞ」

 浩一はそれだけ言い残すと、杏華をおいて荷物を置きに、自室に向かった。

 階段を上り、突き当たった壁に対して左に折れると、二つ部屋が並んでいる。手前が杏華、奥が浩一の部屋になっている。

 浩一は部屋に入るなり、机の脇に鞄を放り投げるとネクタイを緩めてベッドに倒れ込んだ。

「………」

 浩一は柔らかいベッドに身を沈めると、自然と深い呼吸を繰り返す。大量の花を持ち続けた腕の疲労が緩やかに癒えていく感覚。無意識を描き出したような、真っ暗な視界が次第に呼吸より深い闇に沈んでいく。

 いつの間にか、深い呼吸は寝息へと収束した。

 暫くして安らかな寝息の響く浩一の部屋のドアが、少しの隙間を開ける。杏華が中の様子をコッソリと伺っている。そして浩一がすっかり寝入っているのを確認すると、抜き足差し足忍び足で浩一のベッドの脇に立った。と、杏華は浩一の顔を覗き込んで、小悪魔のような笑みを浮かべた。

「おにぃ〜〜…」

 始め身体を小さくして、ジャンプする。

「ちゃんっ!!」

「ぐえっ!」

 突如として襲った腹部への激しい圧迫感に、浩一は慌てて飛び上がった。その反動で、飛び乗った杏華は浩一の足元に飛ばされた。

「オイ、杏華っ! いきなり飛び乗るなっ!」

 咳込みながら怒鳴る浩一。そんな彼を見つめて、うつ伏せになって両手で頬杖をついてニコニコしている杏華。浩一は呆れて溜息をつく。

「…で、何の用だ…?」

 何を言っても無駄だと思った浩一は、だらしなく首に引っかかっているネクタイを外した。

「夕飯だよっ」

 寝癖のような形がついた浩一の髪を眺めながら、本当に嬉しそうに告げる杏華。

「…分かった。すぐ行く」

「うんっ」

 杏華はその場に座り直しながら、元気良く頷いた。

「………」

「………」

 無言で向き合う兄妹。

「早く出てけ。俺は着替えるんだよ」

「見とく」

 始まった。杏華の悪い癖、其の一だ。

『杏華悪癖其の一:人の(浩一の)着替えを見たがる』

「ほら、出てけ」

 浩一は杏華の背中を押して、ドアの外まで運ぶと鍵をかけた。しばらく外で騒いでいた杏華も、少しすると諦めて行ったようだ。

「…ようやく行ったか」

 いつものこととは言え、呆れてため息混じりに呟くと、浩一は普段着に着替えて一階へと行った。

 ダイニングの一角には、テレビがバラエティ番組を映し出していた。四人がけの大きなテーブルには浩一の両親が並んで座り、それに向かい合う形で浩一と杏華が並んで座っていた。

 テーブルの中心には大きなサラダボール。一人一人の目の前にはスパゲティが両脇にスプーンとフォークを従え並んでいた。

「お兄ちゃん、早く早く〜」

 杏華が浩一を急かしている。浩一は「やれやれ」と呟きながら、杏華の隣りに座る。

「いただきます」

 浩一が唱えると、家族全員が続いた。

「いただきまーす」

 程なくして談笑しながらの夕食が始まった。

 浩一は杏華の話を楽しげに聞く両親の姿を見ると、食事の時間は大切なのだ、と改めて実感した。家族が揃い、時間を気にせず話が出来る唯一の時間。この家族の仲の良さの秘密は、ささやかではあるが、こういう所にあるのではないだろうか。

「お兄ちゃんー食べないなら貰っちゃうよー?」

 言いながら既にスパゲティを一口分横領する杏華。

「あ、こら!」

 浩一は慌てて制止するも虚しく、それは既に彼女の口の中。母親のたしなめる声や父親の、杏華の笑い声が響く中で浩一も仕方ない、と言いながら笑った。


 やがて夜も更け、浩一はベッドの中にいた。明日から始まるであろう日々に仄かな期待と一抹の不安を覚えながら、また眠りの中に落ち始めた。

 その闇の中で、心なしか木葉の姿が浮かんだような気がした。


 

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2009年10月28日:デザイン改修
2004年10月28日:加筆修正