長編恋愛小説>Love-Songs[木葉]>第01話「プロローグ」

プロローグ



 鬱蒼と生い茂る木々の一端から、月明かりが朧に差し込んでいる。
 
 その月光を浴して呼吸する、一際年老いた大木があった。 周りに立ち並ぶ木々を十本束にしても尚、その幹の厚みには届かないだろう。しかし大木の表面は重ねた年月を物語るように朽ち逝こうとしている。

 不意に、何処からともなく風が吹き抜け、静寂を守っていた森に数瞬の賑わいが訪れ、また去った。

 去ったはずなのに、水を湛えたようなあの静かさは戻らなかった。

 一定の間隔で刻まれる、心臓の脈動を思わせるその音は初め、か細く脆弱なものだったが、時を経てその間隔が次第に短くなって行く度、命の力強さを誇示するかのように大きな鼓動を打ち響かせ、やがて一際大きな音が 一つなった時、辺りの闇は大木が発する真っ白な光に飲み込まれて行き――。
 
 数瞬の沈黙が過ぎ、闇が支配権を取り戻した時、大木の前には一人の少女が膝を抱きかかえるようにしてうずくまっていた。
 
 少女はやがて緩慢な動作で顔を上げ、辺りを見回し、次いで自分の姿を見 た。すると少女は白烏を見たかのように目を見開いて、白魚のような両手の指を閉じたり開いたり、白く細い腕を伸ばしたり曲げたり、肩の辺りまで伸びている髪に触れたり、 不意に立ち上がって起伏に乏しい身体を見下ろしたりする。

 少女はそうして身体の自由を知ると、花もつられて咲いてしまうのではないかと思える程に暖かで柔らかな微笑みを浮かべた。
 
「わぁ、動けるー」
 
 何処かあどけなさが残る少女の声の響きが、夜の森に木霊した。彼女を取り巻くように立ち並ぶ木々は、彼女と喜びを分かち合おうとするかのように、自らの枝を揺らし、葉を降らせた。

 雪のようにひらひらと木々の葉が降る中で、少女は空を仰ぎ、両腕を精一杯伸ばして楽しげに舞う。一片の葉が彼女に触れる度、爛然として彼女を包む衣を形作る。

 そのことに少女は気付かず、ただ遊ぶ。

「あ……」

 どれだけの時をそうして過ごしただろうか。彼女は遠くに明かりを見つけた。それはずっと昔から眺めていた光だった。森とは違う時間が流れ、彼女とは違う生命が集い、そしてうつろう場所。

 何もかもが、彼女の憧れだった。
 
 いつの間にか敷き詰められた木の葉の上で、少女は覚えず明かりに向かって一歩踏み出していた。葉や枝を踏みしめる乾いた音がした。

 少女はそれで自分の足元を見た。視線の先にはこれまでと違って、思い通りに動く足があった。今の彼女は、今までの彼女と比べれば空を飛ぶ鳥にすら劣らないくらい自由だった。
 
 もう一度、街の遠い明かりを見る。そしてその輝きの中に身を置き、この足で歩く自分の姿を想像する。
 
 とても、心が弾んだ。
 
 少女はまるで自分を納得させるかのように、一つ大げさに頷くと、茶色いセミロングの髪を揺らしながら、遠くに見える街の明かりを頼りに、覚束ない足取りでゆっくりと山を下り始めた。
 
 
 何処か遠い所で、車のクラクションの音が鳴り響いていた。
 


 

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