長編恋愛小説>二人のDistance>第02話「今日と言う日を素直に-四月決戦-」

今日と言う日を素直に

-四月決戦-


 そして四月一日、午前十時を目前に控えて、瑛は目一杯おしゃれをして既に駅前で待っていた。

 いつもは面倒くさくてそのまま下ろしている髪もしっかり時間をかけてあげてきたし、この間買ったばかりの新しい服を着てきた。手作りのお弁当も…少し心もとないけど一応は味見だってして、合格点をあげても良い出来だと自分では思っている。

 後は…肝心の人が来れば。

「瑛ちゃん」

 と、背後から将に今待ち焦がれていた人の声が聞こえた。振り返る。

「やほー」

 ダイヤのようにキラキラ目を輝かせて振り返った瑛は、すぐに視界に飛び込んできた人物が予想だにしなかった人物だったので、目のダイヤはその炭素原子の共有結合が見事に平面的な結合に変わり、まるで炭のような曇りを見せた。

「みきぃ〜…」

 瑛はその人物の名を呪うかのような声で呼んだ。

「…遅れちゃったかな?」

 と、今度こそその意中の人の姿を瞳に映す瑛。

「…うんん、私が勝手に早く着いただけだから」

 瑛は力ない笑顔でやんわりと達也の言葉を否定した。

「瑛、ごめんね」

 と、唐突に海姫が謝る。

「え?」
 瑛はどのことについて謝っているのか判らずに聞き返した。

「今日私、実家に帰らなきゃならない用事が出来ちゃって、悪いんだけどお花見は二人でやってくれない?」

 ペロッ、舌を出してウィンクする海姫。達也は海姫の後ろにいるのでその表情は見えない。と、いうことは、瑛にだけ向けた海姫なりのメッセージだということになる。

 それで、ピンと来た。

「…あ、そうなんだ」

 アンチノミーな声と態度で応える瑛。

「だから、たっちんと二人で行って来てね」

 最後の後押しをする海姫。瑛は助けを求めるように達也の顔色を伺った。

「…折角だし、行こうか?」

 達也の一言を聞いて満足そうに頷くと海姫は手を振ってまた改札の方へと向かって行った。

 …当初の予定とちょっと違ったけれど、終わりよければなんとやら。求めていた結果が今―――。

「それじゃあ、行こうか」

 達也は半歩瑛の前に出て、少しだけ振り向いて瑛に手を差し伸べた。
 瑛は気後れして目をパチクリさせていたが、やがてだらしなく頬を緩めると、その手を握り返した。

 ―――その掌の繋がりにあった。


* * *


 これだけ天気が良くて、風がやんわり暖かくて、おまけに桜が綺麗なら…当然と言えば至極当然なのだけど。

「…満員だね」

 どの木の下も、大きな輪が出来上がっていた。

 駅から歩いて数分のところに、大きな公園があった。そこは駅の名前の由来にさえなるほど大きい。

「…どうしよっか」

 瑛は答えを達也に求めた。

「此処にこうしていても余り意味ないし、とりあえず開いてる桜を探してみようか」

 小言葉とは裏腹に、現状から察して余り期待していないような素振りだった。

 それでもこうしてては繋いでいる。だから、それでも良い。

 二人はそのまま、幾つもの桜の木と輪を通り過ぎた。何処も大勢で楽しそうに飲んだり食べたりしている。

 瑛たちはただひたすらに歩いていた。言葉はなくとも繋がれた手がお互いを主張しているから。少なくとも傍にいることだけは確かめられているから、そのまま二人とも別々の方向を見てあいている桜の木を探した。

 やがて、達也は一本の木を見つけた。

「瑛ちゃん」

 掌が今までと比較して強く握られた。その痛みよりそうされたことへの胸のときめきの方が苦しくて瑛は顔をしかめた。

「あ、ごめん」

 達也は謝って手の力を緩めた。

「あ、違うの」

 瑛は咄嗟に否定した。しかし、どうしてその真意を告げられるだろうか。

 瑛は閉口して、多分赤くなっているであろう顔を隠そうと、俯いた。

「…あの桜の木」

 達也は、僅かに生まれた違和感を拭うように先程見つけたばかりの、一本の木を指差した。瑛はその気配を感じて、静かに顔を上げた。

 その指の指し示す先には、どうしてだろうか、既にその花びらの大半を散らせてしまった桜が一本だけ、ひっそりと立っていた。

 二人は見詰め合って、一度頷き合うとその桜にゆっくりと歩いて言った。まるで吸い寄せられていくような、不思議な感覚。

 そしてその木の根元に立つ二人。

 改めて桜を見上げても、やはり其処に薄紅色の花びらは殆ど残っていなかった。

 それなのに、どうしてだろう、その木から離れられずにいた。

「…もし瑛ちゃんさえ良ければ」

 その不意をついて達也が呟いた。

「え?」

「この木の下で…いいかな?」

 その声が余りに優しくて、悲しくて瑛は考える間も置かずに「…うん」と応えた。

 
* * *


 海姫は電車がプラットホームに入ってくるのを見て、慌てて走り出した。

 発車間際、何とか車内に滑り込んだ海姫は運良く一人分、ぽっかりと空いた席にその身体を埋め込んだ。

 しばし揺られるままに身を任せる。

向かいの車窓から覗く風景はまるでパノラマ写真のように細長くて、でも一定ではなく、水の流れるようにとめどもなくて。

海姫は視線を外した。

 ちょっと意地悪しすぎたかも。

 心の中で呟いて、人知れずため息をつく。友達の真剣を軽い気持ちで踏みにじってしまったような罪悪感が胸中に広がる。

 海姫はしばしその罪悪感に顔を曇らせていたが、ある瞬間、本当に何気ないその時にバッグからケータイを取り出して、メールを作成し始めた。宛て先は言うまでもなく―――。


* * *


 その時、瑛のケータイが震えた。瑛はいつの間にか離してしまっていた手でケータイを取り出す。受信したメールを確認すると、先程別れた海姫からだった。開く。

『ごめん、瑛の気持ちとか知ってて悪戯しちゃった。でも、私だってちょっと寂しかったんだから。瑛が相談なしで色々進めちゃってさ…。でも瑛も随分積極的になって、私も嬉しいよ!』

 瑛は海姫の気持ちが素直に嬉しかった。確かに今達也とこうしていられるのも海姫の計らいだった。あれがなければ今頃はこうして隣で、同じ桜を見てはいなかったかもしれない。

『じゃあ、最後に一言!』

 瑛は首を傾げつつ先を読む。そして、瞬間海姫からの言葉に心が動いた。

『エイプリルフールだからって、嘘つかないで。今日と言う日を素直に!』

 …思えば、この花見自体嘘から出たまことのようなものだった。
 このままでは、嘘で始まって嘘で終わってしまいそうだ。そして、二人でこうしていることも、嘘になってしまうかもしれない。

 瑛は物言わぬ桜の、その残り少ない花びらが散る姿を見る達也に向き直った。

「あの、達也くん」

 瑛の声に振り向く達也。しかし、瑛の言葉は続かない。どういうべきが考えあぐねているようだ。

「…この桜」

 そうして、先に口を開いたのは達也だった。

「え?」

「この桜、懐かしかったんだ」

 達也は慈しみ深い眼差しを桜に向ける。

「実家にも丁度、コイツみたいな桜があって、小さい頃良く見ていたから、ちょっと懐かしくてさ」

 そう言って、照れくさそうに笑う達也。

 そんな表情を見せられては、益々瑛の心は惹かれてしまう。

 だから、今日と言う日が嘘になる前に。

「達也くん」

 瑛は勇気を振り絞って声を出した。

達也はこの場に流れた何となく居心地の悪い雰囲気を打ち消そうと、瑛の声を聞かないで言葉を繋いだ。

「…あはは、ごめん。俺、お弁当作ってきたからそろそろ食べよ…」

「…ごめんなさい!」

 瑛は達也の言葉を遮り、立ち上がって頭を下げた。

 予想外の瑛の行動に、目を丸くする達也。

「え?」

「ホントは…、ホントはね、三人でお花見なんて嘘だったの! ホントは達也くんと二人でお花見したくって騙して来て貰ったの! 本当にごめんなさい!」

 瑛は一息に、真実をありのままに伝えた。最後までその顔を上げなかった。

 達也は暫く黙ってそのまま座っていた。しかし瑛が顔を上げないから、立ち上がって、瑛の傍に立つ。

「瑛ちゃん」

 呼ばれて、身体を震わせる瑛。次に浴びせられる言葉が怖い。

「顔、上げてよ」

 達也は静かに言った。抑揚のない、冷たい声だった。瑛はそれでも仕方ない、と顔を上げた。

「…痛っ」

 コン、と頭に何かが当たった。それは、達也の握り拳だった。

「あ、痛かった? ごめん」

 達也は慌てて言った。何があったかわからない瑛。

「嘘をついた瑛ちゃんにお仕置き」

 笑っていう達也。

 達也は顔を上げない瑛の頭上に軽く握った拳を構えていたのだった。

「そんな、別に怒ってないから気にしないで」

 苦笑する達也。

「…本当?」

 瑛は何となく、痛くはなかったけれど頭を抑えたまま訊いた。

「本当」

 応える達也。

「それに、俺も瑛ちゃんと一緒にいたかったからさ」

 少し笑って達也が言った。

 胸がはじけるように熱い。

「ほ、本当?!」

 瑛は瞳を輝かせて訊いた。

「なーんてね」

 達也は言って、声を上げて笑った。

 なんて言ったって、今日はエイプリルフール。

「これも、お返し」

 達也は笑った。

 だから瑛は、一瞬目をしばたかせていたけど、すぐに笑って「もぉー!」と叫ぶと、達也の腕を抱きしめて言った。

「エイプリルフールって嫌い」

 そして二人で笑った。ひとしきり笑ってお互いの距離に改めて気付き、ちょっと照れる二人。

「達也くん」

 瑛は呟くように名前を呼んだ。達也が瑛を見たから、達也の瞳を真っ直ぐに見詰めたまま本当に小さな声で瑛は言った。

「…好き」

微かに聞き取れた瑛の言葉に、達也は顔を赤くする。

「…え?」

 桜の木が風に揺れて、瑛との間に花びらが舞うから、それも気持ちを揺さぶったのかもしれない。

 その戸惑った達也の表情を見て、瑛の中に息づく達也への思いが益々膨らむのを感じた。

 だけど。

「…なーんてね!」

 パッ、と抱きしめていた達也の腕から離れて走り出す。


 ―――このまま達也への気持ちばかり膨らむのが、ちょっとだけ悔しいから。


「…瑛ちゃん!」

「あはは、ごめんなさーい!」

 先を走る瑛を追いかける達也。

 ―――今はまだ、素直になりたくない!

 瑛は心の中で海姫に謝って達也の追跡を楽しそうにかわした。

 桜の木は、そんな青い二人を優しく見守っていた。


 

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2009年10月28日:デザイン改修
2006年08月15日:初出