Christmas Time >2003「Courage」>第07話「始まりの朝〜12月26日」

始まりの朝〜12月26日



「いってきます!」

 比奈子は軽いランドセルを背負い、学校へと駆け出した。

 早く、皆に会いたい!

 まだ眠る商店街を走りぬけ、青信号が灯った交差点を颯爽と駆け抜ける。校門をくぐると、其処にはまた、あの三人が歩いていた。

 比奈子は歩調を緩めた。やはり、躊躇いがある。だけど―――。

「栞ちゃん! 皆!」

 思い切り、声をかけてみる。三人は驚いた顔をして振り返った。

「…さえ、き…さん?」

 比奈子の普段とは違う雰囲気に、気後れしている三人。

「…おはよう」

 ずっと走ってきたから、肩で息をしながら、でも微笑んで挨拶をする。暫く戸惑っていた三人だったけれど、栞は一歩比奈子に近づいて笑った。

「…おはよう、佐伯さん」

 差し出された栞の手。比奈子はその手をじっとみつめる。

 そう、これが欲しかったぬくもり。

「栞ちゃん、違うよ」

 手を握り返しながら、比奈子は言う。

「名前で、呼んでほしいな」

 栞はキョトンとした表情を浮かべたが、すぐ笑って言った。

「おはよう、ヒナちゃん!」

 そして、比奈子は後の二人とも挨拶を交わした。皆笑顔で比奈子を受け入れてくれた。

…なんだ。

 比奈子は心の中で思う。

 …こんなに、簡単なことだったんだ。

 勇気を出すということ。それは本当に難しいかもしれない。けど、案外簡単だと思う。一歩だけで良い。踏み出す勇気さえあれば、なんだって出来る。

 比奈子はそんなことを感じながら、皆の話の輪に入っていく。



「おはよう」

 比奈子は四人で教室に入った。栞に負けないくらい、元気な声で挨拶をした。皆気後れしながらも、比奈子に挨拶を返す。

 比奈子はもう、大丈夫だと思った。今までの溝は、これからの日々をかけて埋めていけば良い。

 時間はかかるかもしれない、しかし、それは気が遠くなる程沢山ある。

「ヒナちゃん」

 不意に、栞の声がする。

「ヒナちゃん、私ね、本当はもっと早く友達になりたかったんだよ」

 微笑んで言う。

「でも、ヒナちゃん余り話してくれなかったから、私嫌われてるのかなーって、思ってたんだよ?」

 首を傾げる仕草が可愛い。微笑みに意地悪な嫌いが覗く。

「ごめんね」

 比奈子は素直に謝った。

「人と接することが怖かったの」

だけど―――と、比奈子は言葉を繋ぐ。

「だけど、楽しいことも、いっぱいある」

 比奈子はクラス中を見回して言う。

「栞ちゃんが、教えてくれたんだよ」

 比奈子は言って笑ったが、栞はまた不思議そうに首を傾げるだけだった。

それから比奈子は、あの不思議な一日を擬えるかのように、栞を始め、クラスの皆と言葉を交わした。朝の短い時間ではあるが、とても充実していると、比奈子は感じていた。



 やがて、終業式が始まる。

 お決まりの教訓が並べ立てられる。いつもは真面目に聞いていた比奈子も、今日ばかりは話をすることが、楽しくて止められない。だから、ついつい夢中になってしまって、担任の先生に注意されたりもする。

 比奈子は、そんな当たり前のことも新鮮に感じていた。



 帰りの会。

 やはり定型文の印刷されたプリントが配られる。きっと諳んじることさえ出来そうな言葉たち。

 後数分後に始まる冬休みに思いを馳せるから、先生のどんな話も頭に入らない。



 そして、チャイムが鳴る。

 少し短いけれど、待ちに待った冬休みが始まったことの意味は大きい。

 毎日友達と遊んで、一人取りこぼしてきた時間を取り戻そう。



「ヒナちゃーん」

 栞の呼ぶ声がする。

「一緒に帰ろう!」

 比奈子も、その言葉を待っていた。だから、勢い良く立ち上がる。

「うん!」

 そして、並んで教室を出る。比奈子はちょっと立ち止まり、聡の席を見た。聡は既にいなくなっていた。

 友達と話すことに夢中で、聡に伝えたい気持ちを、言葉にすることを忘れてしまっていた。

 比奈子はしかし、くじけない。

 もう昨日までの何も出来ない自分ではないから、今夜電話をしてみようと思う―――…けど、それはやはり恥ずかしいからやめにして、次に何処かで会った時、伝えることにした。

 

二人は並んで歩く。それとなくあの日のことを栞に訊いてみたが、やはり覚えていなかった。比奈子は少し残念に思ったが、今があるから、それでも良いと思える。

 やがて、校門の所に行き着く。

『好きだ』

 葉の一枚として残っていない桜の木を見て、不意にあの日のことを思い出す。

「…どうしたの?」

 栞が問う。比奈子は笑いながら首を横に振った。

「…なんでもないよ」

 そして暫く桜の木を見上げた。

 もしかしたら、あの日の聡の言葉は魔法の力だったのかもしれない。もしかしたら気持ちさえも魔法が成立させたもの…かもしれない。

 だけど、この胸に息づく思いは魔法じゃない。ゆるぎのないものだ、と比奈子は確信している。だから、この思いは必ずかなえなければならない。

 比奈子はあの日のことを見ていた桜の木に、自らの決心を告げて、栞に振り向いた。

「ごめんね、行こう」

 比奈子は歩み寄りながら、栞に手を差し出した。握り返す栞。そして二人で歩き出した瞬間に、何処からともなく、比奈子を呼ぶ声がする。

「佐伯!」

 比奈子も栞も、驚いて振り返った。其処には聡がいた。

「…菊池くん?」

 栞が不思議そうにその人の名前を呟く。比奈子は、聡の声の調子があの日と全く同じことに気付く。

「好きだ」

 そして、あの日を繰り返すように、聡の言葉は紡がれた。比奈子はあの日の聡の言葉を思い出した。

『ホントは、終業式の日に告白するつもりだったから』

 …本当だった。

 瞬間、比奈子の目に涙が溢れ出す。

 …あの日の聡の気持ちは、魔法なんかじゃなかった。

 比奈子は涙を拭いながら思う。

 …聡の言葉は、魔法が言わせた言葉じゃなかったんだ。

 次々溢れる涙は止まらない。栞も聡も、比奈子を心配している。

 聡は慌ててポケットに手を差し入れ、ハンカチを取り出すと、比奈子に歩み寄ってそれを差し出す。

「あの…使えよ」

 聡の声に、比奈子は顔を上げた。涙で酷い顔をしているのに、聡はそれを気にする素振りもなく、ただじっと、比奈子がハンカチを受け取るのを待っていた。

 比奈子はハンカチを受け取る。やはり拭っても止まなかったが、比奈子は言う。

「私も…」

 また、頬を一筋の涙が伝う。…構わない。だって―――。

「私も…菊池くんが好き!」

 

 抱き締め合う二人と、比奈子からのもらい涙を浮かべて笑っている栞の三人を、桜の木は優しく見守っていた。そしてそれは、あの魔法によって築かれた日の光景よりも、幸せに満ち溢れている、と感じていた。

 

 だから桜の木は、何も言わずにただ風に身を揺らして微笑んでいた。