Christmas Time >2003「Courage」>第04話「Under a spell〜12月25日・昼(後編)」

Under a spell〜12月25日・昼(後編)



 五時間目、算数。

 比奈子は一生懸命問題を解きつつも、先程から気になってしかたないことがある。

 菊池聡。比奈子は名前を浮かべて、一番前の席にいる彼を見た。熱心に問題を解いているようだ。

 視線を戻す。それは、自分の体の変化に気付いたから。耳が熱い。鼓動は早鐘のよう。

 比奈子は必死に問題を解いた。そうすることで、平静の自分に戻りたかったのかもしれない。しかし、そうすればそうするほど、何故だろう、校庭で自分から視線を逸らしている聡の顔が浮かぶ。体が熱い。けど、厭な熱さではない。寧ろ心が躍るような熱だと感じる。これが恋だというのなら、誰しもがそれを得たいと思うのは至極当然なことだと思う。

 恋。比奈子は我に返る。

自らの気持ちを恋だと言った。言ってしまった。

 比奈子は抱いてしまった気持ちに戸惑いながら、その温かさに包まれる心地良さに、次第に溺れていった。



* * *



 休み時間。比奈子は席を立った。栞に話したいことがあった。いつも自分の席に来て貰っているから、今度は自分から赴きたかった。

 しかし、栞の席に栞はいない。比奈子はクラスを見回した。

 すると栞は、聡の席に居た。

 栞は本当に楽しそうに聡に話かけている。聡は表情こそ迷惑そうだが、気のせいだろうか、頬はほんのり赤く染まっているように思う。

 比奈子は急に、外の風が体を吹きぬけていったのではないか、と疑う程の冷気を感じた。

 栞が比奈子の視線に気付く。すると、含みのある笑顔を向けた。そんな栞の視線を追いかけて聡も比奈子を振り向く。と、またあの時のように、視線を外す仕草をする。

 比奈子は形だけ取り繕うように微笑むと、静かに自分の席に座った。次の授業の教科書を出しつつも、思考は別のことに取り付かれる。

 教室のざわめきがやけに耳につく。教科書の表紙も鬱陶しい。

 急速に彩りがなくなっていく感覚に陥る。

 栞は一体、何を聡と話していたのだろうか。どんな内容にしろ、すごく気になっている。

 暫く俯いたままで居ると、栞の声がすぐ耳元で聞こえる。

「ヒーナちゃん」

 予見していなかったことだったので、比奈子は肩を震わせて驚いた。

「あ…どうしたの、栞ちゃん」

 比奈子の微妙に感じの違う態度に栞は首を傾げる。

「あれ? どうしたの?」

 そんな栞に、比奈子は笑顔で言葉に代えた。 

「…あ、それよりヒナちゃん、放課後って時間あるかなー?」

 渦巻いている雰囲気を振り払うように栞は努めて明るい声で言った。

「…うん、大丈夫だよ」

 それに乗じて答える比奈子。

「じゃあさ、一緒に帰ろう」

 栞は比奈子の正面に回って手を差し伸べた。比奈子はその手の平を見つめる。

 比奈子は思い直した。この手の平に今日助けられたばかりではないか。自分の感じていた感情を恥ずかしく思いながら、比奈子は「うん、帰ろう」と、そう答えた。

「良かったー! じゃあ、校門の所で待ち合わせね!」

栞は伝えることだけ伝えてしまうと、自分の席へと戻って行った。

 比奈子は俯いた。自分の気持ちを相談することが出来なかった。

比奈子は思う。勇気が欲しい、と。勇気があれば、栞のように誰とでも話せるようになるし、今だって悩むだけの自分ではないはずだ。

今日は残りあと一時間。比奈子は一つ頷いて心に決めた。掃除の時間に、栞に自分の気持ちを話そう、と。



その日の授業が終わった。掃除の時間だと促すように、放送が流れる。各人口々に何かを話しながら、椅子や机を教室の後ろに下げていく。比奈子はとりあえず黙々とその流れに身を預ける。

それが終わると皆それぞれの掃除担当場所に赴いていく。幸いにも比奈子と栞は、共に同じ中庭の担当だった。

比奈子は栞の姿を探す。しかし比奈子が栞の姿を見つけるより先に、栞が比奈子を見つけた。栞は比奈子のもとへ駆け寄る。比奈子も気付き、少し足早に歩み寄る。二人が立ち合うと、とちらからともなく手を取り合い、
中庭へと歩みを向ける。

その道すがら、比奈子は栞に告げた。

聡のことが気になり始めてしまったこと。先ほどの休み時間、楽しそうに聡と話をする栞に少しだけであっても嫌な気持ちを抱いてしまったこと。比奈子は全て話した。

道すがら話していたことは、いつの間にか中庭に着き、掃除をしながらになって、時には手を止めてまで、比奈子は言葉をつむがずには居られなかった。

そんな比奈子の言葉を、栞は何も言わず、ただ静かに耳を傾けていた。怒っているわけではない。ただ口を挟んではけないような気がした。

そして掃除が終わる頃、比奈子の話も終わった。風の冷たさも既に感じなくなっていた。

栞は一歩比奈子に歩み寄った。かじかんだ手で比奈子のそれを包み込むように握る。

「ヒナちゃん、ごめんね」

 触れ合った手に熱が帯び始める。

「でもね、大丈夫。大丈夫だよ」

 言葉は続きそうだった。しかし栞は紡がなかった。言葉を放つ代わりに、にっこりと一つ、微笑んだ。



 放課後になる。明日に控えた終業式の連絡事項を、担任の先生が話している。

 比奈子は話を聞くより、栞の仕草のことを考えていた。

微笑みは時として種々の意味を持つ。栞のそれに悪意は全く感じなかったが、その代わりに言わんとしていることが、判りかねている。

 比奈子は答えが見出せず、すがるような思いで栞の背中を見つめた。何も変わらない彼女の背中は、心なしか大きく見えた。

「それじゃあ、終わります」

 先生の声にクラス委員がついで号令をかける。皆雑談を始めたり、飛び出すように教室から全速力で走り出していく子もいた。比奈子は席を立つと栞の姿を探した。しかし、既に栞の姿はなかった。

 と、比奈子の視線に聡の視線がぶつかった。

 比奈子は体が熱を帯びるのを感じた。

 聡は少し目を伏して、もう一度比奈子の顔を見ると、何事もなかったかのように、教室を出て行った。

 比奈子は俯いた。何かが起きて欲しかった。しかし現実は、そんなには甘くないようだ。

 比奈子はランドセルを背負うと、栞が待っているであろう校門へと向かった。



 校庭に、ついこの間まで降り注いでいた枯葉も今はない。赤や黄色のような鮮やかなものから、茶色のように目立たないものまで、種々の葉たちの色彩が比奈子は好きだった。帰る道すがら、落ち葉の風に遊ぶ様子を楽しんでいたこともある。そっと手を前に差し出して、一枚の枯葉がとまった時は少しだけ嬉しかった。

 今は、葉を一枚も残していない木々が、学校の敷地を囲むようにして立っている。

来年の春には、校門の傍に立つ桜の木が、薄紅色の花を咲かせているだろう。そうやって、あの桜の木は新入生を歓迎し、在校生をまた勇気付けるのだろう。

そう考えただけで、比奈子は嬉しい気持ちになる。

校門に近づくにつれて、比奈子は不安になっていた。探せども、栞の姿が見えない。いよいよ辿り着くが、やはり何処にもいない。比奈子は桜の木に体を預けて、栞が来るのを待った。

「…佐伯」
と、背後から声がした。驚いて振り返ると、桜の木の幹の反対側に、聡がいた。

「え…菊池くん?」

「…好きだ」

 狼狽した比奈子の目を、今度は視線を外すことなく見据えて、聡は急に告白した。

「え…?」

 比奈子は余りに唐突な出来事だったので、思わず聞き返してしまった。

「好きだ」

 聞き間違いじゃない。聡は確かに比奈子に向かってそう言った。

「佐伯のこと、同じクラスになった時からずっと好きだった」

 耳まで赤くなっているのが判る。聡は照れくさくなったのか、もう再び視線を比奈子のそれにぶつけようとはしなかった。

 二人の間に沈黙が訪れる。

 比奈子の答えは決まっていた。栞に話すよりも前から決まっていた。それなのに、恥ずかしくて答えを返すことが出来ない。

 勇気が欲しい。

 比奈子はもう一度、心の中で繰り返した。

ただ、なんとなく。

 それだけの理由だったけれど、何故だろう、一度、もう一度と念じる度に、心の中に強さが生まれてくるような気がした。

 比奈子は手を握り締めた。答えは出ている。だから、後は伝えれば良い。

 躊躇う理由は、何処にもない。

「私」

 比奈子が口を開く。聡は、視線は逸らしているものの、全身が比奈子の言葉を享受しようとしている。

「…私も、好きだよ」

 比奈子がそう言った瞬間、冷たい風が吹き、何処からともなく色とりどりの葉が舞い踊った。

「やったね、比奈子ちゃん!」

 比奈子は唐突に聞こえた栞の声に、慌てて振り向いた。

「え? 栞…ちゃん?」

 其処には満面の笑みを浮かべて立っている栞がいた。

「やー、聞いてる方が恥ずかしくなっちゃうね」

 栞は二人に歩み寄る。

「菊池くん格好良かったよー」

 栞はからかうように言う。

「さっきの休み時間にさ」

 栞は比奈子を振り向いて口早に言葉を紡ぐ。ずっと言いたくて仕方なかった、とでも言うように。

「菊池くんにそれとなーく聞いたの」

 栞によると、先ほどの休み時間、聡の気持ちを問いただしていたのだという。栞は比奈子のリアクションから、比奈子が聡のことを気になり始めているのを、また、ドッヂボールの時の聡の様子を見て、聡の中に比奈子への気持ちがあることを、それぞれ見抜いて互いの気持ちの後押しをしたのだという。

「菊池くんが意外にも早く口割ってくれたから、楽だったよ」

 と、ピースをして笑う栞。

「ホントは」

 聡が口を開く。

「ホントは、終業式の日に告白するつもりだったから」

 また、俯く聡。

「それは初耳」

 比奈子は二人のやり取りを心あらずに聞いていた。

 そうか、そうだったんだ。

 比奈子は心の中で呟く。

 栞が聡と話をしていたのは、そういうわけだったんだ。

「ヒナちゃん」

 栞の呼びかけで我に返る比奈子。

「こういうわけだったから、掃除の時間何も言えなかったんだ…。ごめんね、怒ってるよね」

 栞が俯いた。比奈子は慌てて否定する。

「うんん、違うの!」

 栞が、比奈子の声の大きさに驚いて顔を上げる。

「私、嬉しいよ!」

 比奈子が栞の手を取る。

「嬉しい!」

 比奈子は泣いていた。でも、笑っていた。

 栞は笑って、少し貰い涙を目に浮かべて、比奈子を抱きしめた。聡はそんな二人を見て、照れて俯くばかりだった。